貴方の呼ぶ声(青蘭・茄香)



「危ない!!」


 その声に、何が起こったのかを理解した時には、
  


 もう


 遅かった。



 目覚めた場所は、病院の一室。

「起きたか?」

 そう自分に声をかけたのは、遠縁にあたる親戚の少年だった。
 自分より二歳年上で、今小三の。

(えっと…誰だったっけ?)

 思い出せない。
 数多くいる親戚の中でも、陰が薄いことだけは覚えているのだが。

「俺の顔はそんなに面白いのか?青蘭<セイラン>。」

「え、あ、ううん、違うの。んーと…。」

「茄香<カキョウ>」

「へ?」

「俺の名前。覚えてないだろ、どうせ。」

「かきょう!そうだった、かきょうって言うんだったね。」

「…」

「ご、ごめんね。忘れちゃってて…」

「悪かったな。」

「え?」

「わざとじゃなかった。」


 少年の言葉に、何故自分が病院(ここ)にいるのかを思い出す。

 階段から落ちたのだ。

 そう、この茄香にぶつかって。


「ねぇ、もしかして、私の名前呼んでた?」

 少年は、ふいを突かれたような表情をする。


 そして。


「呼ばなきゃいけない気がしただけだ。」


 と、仏頂面で答えた。

 ふふ、と自分は笑う。


 記憶の断片が自分の横を次々と駆けてゆく。
 春。夏。秋。冬。彼と過ごした幾つもの季節。



「かきょう、また授業サボり?」

 体育館の壁に背をもたれさせ、桜を見ていた彼が、こちらを向く。


「おい、これ被ってろ。」

 急に雨が降ってきた秋の日、彼は自分の上着を私の頭に被せてくれた。



「茄香、似合ってる似合ってる〜。」

「…面白がってるだろ、お前。」

 中学の文化祭、彼のクラスは『白雪姫』を上演した。
 長身と目立つ容姿の彼だから、てっきり王子役にでも抜擢されたのではないかと思ったのだが…舞台を見ると、何故か彼は白雪姫になっていた。


 そして、高校の頃。

「お前には関係ない。」

 ある日そう言われた自分は、彼の頬を思いっきり引っ叩いた。


「ずっと一緒に居るわ。誰が茄香の敵になっても、私は茄香の傍にいる。だから、他の誰を信じられなくても…私だけは信じてほしいの。」


 気付けばそこは、知らない場所だった。
 自分の目の前には、果てが見えない七色の花畑。
 暖かい光が溢れる場所。

 まるで、楽園のように美しい光景だった。
 誘われるように、その花畑に足を踏み出そうとした。


「青蘭。」


 その声に振り返ると、自分の後ろに広がる廃墟に気付く。
 灰色の街。壊れたビルと破れた布きれ。
 その中に一人立つ少年。


 茄香…?


「こっちに、来い。」


 でも、花畑の向こうから自分を呼ぶもう一つの声が聞こえる。


 おいで、と。
 それは甘く優しい響きで。
 その優しさに身を任せたくなる。


「お前が言ったんだ。」


 何を?


「俺達はずっと一緒だって。なら、こっちに来い青蘭!!」
 


「…青蘭…青蘭!」


 意識が、深い闇の底から浮上する。


「…か、きょう…」


 貴方はまた、ずっと私を呼んでくれていたの。


「何で、泣いてるの…?」

 最高に貴方らしくないわ。


 青年は、何も言わずに青蘭を抱き寄せた。
 彼にしては、恐る恐るといった手つきで。


「茄香…?」
 


 ぼんやりとした意識で、辺りの様子を見る。
 スタジオ。
 雑誌の撮影現場で。


 そうだ。


 照明器具が落ちてきたのだ。


「血が…付くわ。」

「俺を何だと思っている。」

 ああ…そうだった。

「じゃあ…お願いしてもいい?茄香先生。」

「…特別痛い手術でもしてやろうか?」

 その言葉に、青蘭はふと苦笑にも取れる表情をして見せた。

「全くもう…貴方って昔から乱暴で意地悪で…嫌いだわ。」

 乱暴でもちゃんと導いてくれる。

 意地悪でも助けてくれる。


 そんな彼だからこそ、自分は。


「文句なら後で全部聞いてやる。今は黙っていろ。」


 茄香の囁きに、わずかに頷くように身じろぎをした後、青蘭はゆっくりと瞳を閉じた。

 きっと大丈夫。

 大人になった彼の腕は、子供の頃のように華奢で頼りないものではない。
 力強く、そして何よりも誰よりも優しい。


 愛しい人の腕の中。
 安心しきった表情で、彼女は眠りに落ちていった。


 ねぇ、茄香。
 どんなに深い眠りの中に居ても、貴方が呼べば私は目覚めるの。

 だから、ずっと呼んでいて。
 貴方が呼ぶ限り、私は貴方の傍に居る。




□花言葉□
蘭……美人、優雅な女性、変わりやすい愛情、わがまま、など。
茄子……真実、希望など。


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