私たちは一体
どれだけのものを
貴方達に残せたのでしょうか…
―――最後に見た両親の姿は、十年前と変わらない幸せそうな姿だった。
憧れだった。両親のように、ずっと仲の良い夫婦でありたいと思った。
私にくれた愛情を、今度は娘達に渡そうと決意した、その矢先の事だった。
―――両親が亡くなったと、学校の先生が言った。
全てを運で片付けるにはあまりにも理不尽で。
全てを受け入れるには、心が未熟すぎた。
―――両親は、交通事故で他界したらしい。
幼すぎた自分には、それが上手く理解できなかった。
ただ、もう二度と昨日と同じ日は来ないのだと悟った。
海が見える場所。
そこは、風舞の先祖達が眠る土地。
少年は、その中の一つの墓石の前に立っていた。
「早いわね、紫陽<シヨウ>。」
笑顔で自分の方へ向かってくる女性。
彼女は自分を我が子のように育ててくれた人だ。
「姉さんの仕事、少しでも減らそうと思ってさ。」
少年は笑顔で返すと、
「紫亜達は?」
と尋ねた。
「ああ、今日は席を外してもらったの。あの子達が来るとにぎやかでいいけど、たまには…静かに昔を思い出したい時もあるのよ。」
「桃春<トウシュン>は、やっぱり来ないかな。」
「あの子も相変わらずね。両親の命日くらい、顔を出せばいいのに。」
紫陽と呼ばれる少年と話をしている女性の名は梨那<リンナ>。
梨那と桃春は紫陽の姉であり、一番の年上は梨那だ。
梨那には六人の娘達がいる。
そして一番末の娘・紫亜は、紫陽と同い年だった。
梨那は、両親が亡くなった時まだ幼かった紫陽を引き取り、自分の娘達と共に育てた。
だから紫陽にとって梨那は姉であり母でもある。
一方、二番目の姉・桃春は、弟の紫陽に対して冷めた態度を取り続けている。……昔から。
両親が亡くなった時、桃春は11歳。紫陽は4歳だった。
二人からかなり歳の離れた姉である梨那は二人とも引き取ることを進言したが、桃春はそれを拒んだ。
『私は姉さんには頼らない。風舞の本家に行って、当主様に相談するわ。』と。
そして桃春は、高校を卒業して一人暮らしを始めるまで本家で暮らしていた。
「桃春は僕を嫌ってるからね。」
と、紫陽が寂しげに笑って言う。
「あれはただの八つ当たりよ。弟に両親を取られたようで、その気持ちがすっきりしないまま父さんと母さんが亡くなったから。あの子はそこで時間を止めちゃったんだと思う。要するに、まだまだ子供なの。紫陽が気にすることじゃないわ。」
「そうかもしれない。でも…」
紫陽は、視線を落とした。
「僕にも、無神経なところがあったかもしれないから。」
梨那は、困ったような、それでいて安心したような微笑みを浮かべて紫陽の頭を撫でた。
「貴方はいい子ね、紫陽。」
紫陽は何事かを梨那に言おうとしたが、ちょうどその時視界に入った人影に気付く。
「!」
走り去るその人物を追って、紫陽がすばやく駆け出す。
「紫陽!?」
「ごめん姉さん!すぐ戻るから!」
そう言うと、紫陽は瞳を閉じて意識を全身に巡らせた。
眠れる力を目覚めさせる儀式。
彼の備えし力は“速”。
通常の人間の倍の速さで動くことのできる能力である。
さして時間もかからず、紫陽は目的の人物の白い手首を捕まえる。
「桃春、“速”の能力者の僕から逃げられると思った?」
「……放して。」
「……。」
「放して! あんたの顔なんか見たくもない!!」
「…ずっと、言いたかったんだ。」
ゆっくりと、確かに桃春に届くように告げる。
「ごめん。」
紫陽は、そう言って桃春の手首を掴んでいた手を離した。
けれど桃春はどういうわけか、その場から逃げようとはしなかった。
かすれた様な声が聞こえてきたのは、長い沈黙の後。
「私、前に言ったわ…“父さんと母さんを殺したのはあんただ”って。」
「…うん。」
静かな声で、紫陽は肯定する。
「“あんたなんか居なきゃ良かったのに”って、言ったわ…。」
「うん…。」
「覚えているなら何で謝るの…!?私は…」
「桃春も、僕の姉さんだよ。大切にしたい。父さんと母さんを守れなかった分、せめて姉さん達は守りたいんだ。姉さん達まで…失いたくない。」
「……馬鹿じゃないの?」
桃春は、唇を歪ませて笑う。
「……馬鹿よ、あんた。」
その唇が震え、涙が頬を伝うのを、紫陽は確かに見た。
踵を返して駆け去る桃春の背中を、今までとは違う気持ちで見送る。
ゼロじゃない。
完全に伝わらなくても、受け取ってくれた言葉はある。
それが、紫陽には嬉しかった。
「……ねぇ、父さん、母さん。私の弟も妹も、どちらも良い子ね。」
その声に応えるかのように…
懐かしい匂いのする風が、三人の間を吹きぬけていった。
□花言葉□
梨……和やかな愛情、博愛、慰安、など。
桃……あなたのとりこ、チャーミング、など。
紫陽花……辛抱強い愛情、高慢、移り気、など。
|