肌を刺すような朝の冷たい空気の中、一人の少女が息を切らして走っている。
人影の無い裏通りを抜け、先を急ぐ。
その手には新聞がぐしゃりと握られていた。
このレニーベルの街は、観光都市としてちょっと有名だ。
けれど貧富の差が激しい街だから、華やかに栄えているのは中央通り沿いの地域だけ。
中央通りから一歩でも脇に入ると、そこで目に飛び込んでくるのは暗く汚れた路地と、よれた服を着て仕事に励む労働者階級の人達の姿だ。
それでもまだその区域は良いほうで、そこを通り過ぎてもっと奥へ進むと、思い切り蹴ったら崩れてしまいそうな古い家が立ち並ぶ区域がある。
隠されるように、というよりは臭いものにフタをするように、高く厚い壁で囲まれたその区域――貧民街。
そこが自分の目的地だ。
『花が土から養分を吸って、そ知らぬ顔で咲き誇るようなもんさ』と彼女は言っていた。
中央通りが花として『咲く』ために必要な土、それが裏通りや貧民街なのだと。
『この街は景観が売りだけど、その割に背の高い建物を造ってないのはどうしてだと思う? 見られちゃ困るからさ。薄汚れた裏通りや、まして貧民街なんてね。』
人を圧するような雰囲気の大きな壁に造られたたった一つの扉を開け、中に入る。
毎回思うのだが、もしこの扉が壊れでもしたらどうするのだろう。
壁も扉も昔に作られて以来補強なんかされてないようだし、定期的に役人がチェックしてるようにも見えない。
扉が開かなくなったら、中の住人達は閉じ込められてしまうのではないだろうか。
それはここを忌み嫌っている「上」の人達には好都合なのかもしれないけど。
貧相だが家という体裁は保っている周りの建物と比べて、一際粗末な「家」――というのもおこがましいくらい、小さな小さな小屋の前まで来ると、少女は荒れた息を整えた。
錆びの激しいトタン屋根のその小屋に扉は無く、黄ばんだ布がカーテンのように入り口にかけてある。
「キョージュ!」
しばらく後に、目の前の布が動いた。
「どうした、朝っぱらから。」
気だるげな様子で現れた人物に、少女は新聞を掲げて見せる。
「ニュースだよ! 隕石! 隕石が降ってくるんだ!!」
ところどころ手汗がにじみ、ふやけたようになっている新聞を『キョージュ』は手に取り、新聞の一面を飾っている記事にスッと一瞬で目を通した。
数えて、たっぷり3秒。
『キョージュ』はそのくらいの時間があれば、記事の文字を一言一句間違えず覚えてしまう。
新聞から目を逸らすと、『キョージュ』は息をつきながら小屋の中へ戻っていく。
少女は慌ててその背中を追い、布の隙間から小屋の中へ入った。
小屋の中には、沢山の分厚い本と図形や数式、異国の文字が書かれた沢山の紙が足の踏み場も無く散らばっている。
手狭な床に何とか置かれているランプの光が、乱れた小屋の中の様子を橙色に照らし出していた。
「もー、せっかく片付けたのに……すぐ散らかすんだから。」
とりあえず自分が座る場所を確保しなければいけない。
少女はせっせと床にある本や紙を拾い始めた。
手に持った本や紙からは、ほんのりと不思議な香りがしてくる。
この小屋全体に淡く広がる匂いだ。
『キョージュ』が好んで焚く『香』の匂いだった。
本にも紙にも『キョージュ』自身にも、花のような甘い香りが染み付いている。
嫌いな匂いでは無かった。少なくとも少女にとっては。
「キョージュ?」
小屋の奥の壁に貼った大きな紙に手を当て、『キョージュ』は立っていた。
息を吸い込んで振り返った『キョージュ』の瞳は、今までに見たことが無いほど爛々(らんらん)としていた。
そして言ったのだ。
「間に合った」と。
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