蒼き乙女と紅の姫君


第一章 私立麗泉(れいぜい)学園高等部



「来た。逃げるよ、梨優(りゆ)。」

 そう言って、傍らに居た少女の服を引っつかんで走り出したのは、雪村(ゆきむら)花澄(かすみ)・十五歳。

 入学以来、ここ麗泉(れいぜい)学園の華と称される美少女である。

 引っつかまれた方の少女は、花澄と同じく十五歳の、水無瀬(みなせ)梨優(りゆ)という名の極普通の少女である。


「……ふぇ?」


 極普通の少女である。多分。


「こらぁっ!待てそこの二人!」


 後ろから聞こえてきたその声と複数の足音に、


「ちっ、気付かれたか。」


 舌打ちをして、花澄は走る方向を変える。

 そして、トロトロ走っていた梨優を抱えて再び走り出した。









「ま、まいた……?」


 校舎の壁に背を預け、乱れた呼吸を整えながら花澄は周囲を注意深く見回す。


「……ったく何だっての、あいつら。」

「かすみぃ……。」


 足元で小さく呟く少女に、


「何? どっか怪我でもしちゃった? どうしたの?」


 顔色を変えて、花澄は問いかけた。


「サンドイッチ置いてきちゃったぁ……。」

「何だ……そんな事。私のをあげるから、少し我慢して? 今はあいつらが……。」

「あたしが?」


 鋭い声音が、花澄の耳元で生まれた。

 バッと身を翻し、梨優をかばう様に構える花澄。

 緊張した面持ちの花澄の前に立つのは、先程まで花澄達を追っていた少女達の、リーダーにあたる少女である。


「明日香……!」

「やっと追い詰めたよ、水無瀬梨優! どんな手を使ったのは知らないが、よくもあたしの仲間に怪我をさせたね? その借り、返させてもらうよ。」

「させない。梨優に傷一つでもつけたら許さないから。」

「ねぇ前から思ってたんだけど、あんた何でそいつにこだわるの? 学園であんた達何て呼ばれてるか知ってる?」

「何とでも。私は梨優を守りたいだけ。」

「はっ、気持ち悪ぃ。じゃあ、守れるなら守ってみろよ!」


 容赦ない少女の拳が花澄に迫る。


 その時。


 バチィッッ!!


 青白い光が、握られた拳に獣のように襲い掛かった。


「うあっっ!? 何だ!」


 目の前で起こった現象に、花澄も驚く。


「梨優!?」


 振り向いた花澄は、青白い光を全身に纏った梨優の姿をその瞳にとらえた。

 バチバチと、至るところで火花が散っている。

 いつもトロンとしている梨優の目元が、今は鋭い。


「化け物か……!」


 明日香と呼ばれた少女は、身の危険を感じたのか数歩後ずさると、どこかへ走り去っていった。


「梨優……!!」


 明日香が去っても、梨優の周りの光は消えない。

 とっさに花澄は、青白い光ごと梨優を抱きしめた。


「梨優! 梨優!!」


 尖った刃物で刺される様な痛みに耐えながら、その痛みで気を失ってしまうまで、花澄は梨優の名前を呼び続けた。









記憶の中から、声がする。




繰り返し、繰り返し、愛しげに呼ばれるその名。

優しいその声に、癒されていく。



―――……から。


(そう、だね……。)


 あの人の魂は、私の魂と一つになったのだ。

 あの人の肉体が滅んだ、あの時。


 だから、あの人の宝物は、私の宝物。


 自分は何と応えたのだろう、優しい人に。

 泣きじゃくりながら。



『……絶対……。』


 髪を撫でる手のひら。



―――笑って……。



 精一杯、笑顔を作った。

 でもきっと、とてもひどい笑顔だった。


『絶対、守るから……見ていて、優都……』



 一瞬だけ驚いたような顔をして、それからあの人は天使の様に微笑んだ。



―――ありがと……花澄。








「……みぃ。……かすみぃ……。」


 消え入りそうな程微かな声で、梨優は花澄を呼び続けていた。


「梨優……。」


 見ると、梨優を包んでいた光はもう無く、花澄は人工芝の上に倒れていた。


「優都が……。」

「ゆうとにぃ?」


 小首を傾げる梨優。

 彼にどことなく似た面立ちを持つ、彼のただ一人の妹。


「……久しぶりに夢に出てきてくれたよ。梨優は優都の事好きだよね?」

「うん、好きだよ。ゆうとにぃ、優しかったもん。」

「私も……大好きだよ。」


 花澄の長い黒髪が、風に揺れた。


「さて、そろそろ教室に戻ろっか。っていうか今何時? うそっ、もう掃除始まっちゃうじゃない!」

 くい。と、立ち上がった花澄の服を掴んだ小さな手。


「? 梨優?」

「あのね、ありがと……かすみ。」


―――ありがと……花澄。


 ふいに胸に切なさが蘇り、花澄は泣きそうに微笑んだ。









「花澄様ぁっ!」

「うわぁっっ、何、蓮(れん)珠(じゅ)!?」


 梨優とは別の区域(中庭)を掃除していた花澄は、突然派手な少女に抱きつかれた。

 春宮(はるみや)蓮珠(れんじゅ)。

 さながら動くアンティークドールといった姿の彼女は、自称・花澄の許婚である。


「ひどいですわ花澄様っ! いつもいつもいつもいつも水無瀬さんとばかりお過ごしになって。私だって、花澄様の許婚の一人ですのよ!?」

「何人居るの許婚……。第一、良い? 蓮珠。私は女。」

「そんな事ずっと前から知ってます。大丈夫ですわ。愛さえあれば性別なんて問題ではありません。」

「問題だって! かなり問題だから私にとっては!!」


 青ざめて激しく首を振る花澄。


「何故ですの? 水無瀬さんとはあんなに親しげにしていらっしゃるじゃありませんか。」

「梨優は……特別なの。」

「んまぁっ、それはどういうことです!?許婚の一人を“ひいき”するなど許しませんわよ花澄様!」

「だから、そういう事じゃなくて……。」


 強い視線を感じ、花澄は振り向いた。

 花澄達の居る中庭を見渡す事のできる渡り廊下。

 フッと、花澄と目が合う直前に視線を廊下に戻して歩いていった少年。


 それは冷たい、冷たい瞳だった。


(あいつ……?)


 麗(れい)泉(ぜい)学園では、花澄と同じくらい有名な人物だ。

 麗泉学園高等部生徒会長・芹沢(せりざわ)玲(れい)。

 容姿端麗で頭が切れると評判だが、その人当たりの悪さから花澄はあまり好印象を抱いていない。


「あら、玲ですわね。」

 花澄の視線をたどり、蓮珠が呟く。

「『玲』?」

 蓮珠らしからぬ『呼び捨て』に、少なからず花澄は驚く。

「ええ。玲と私は幼なじみですの。玲も私の事は『蓮珠』と呼びますわ。」

「そうなんだ……。」

「あ、ご安心なさってくださいな、わたくしにとって一番大切なかたは花澄様ですわ。」


 一人で赤くなっている蓮珠の横で、花澄は芹沢玲の消えた渡り廊下を見つめ続けた。


(気にいらないなら、はっきり言えばいいのに。)


 恐らくさっきの視線の意味は、嫉妬。

 他ならぬ花澄への。

 蓮珠を独占している花澄への。


「花澄様? 玲が気になるんですの? ……これは新たなライバル登場ですわね。」


 ずっと渡り廊下を見ている花澄を見て、蓮珠が不安そうな瞳をする。


「……報われないな、こりゃ。」


ため息混じりに花澄は呟いた。









 教室掃除の梨優は、黙々と掃除を続けていた。
 

「梨優〜。」


 モップを動かす手を止めて、梨優は辺りをキョロキョロ見回す。


「こっちこっち。掃除ごくろーさん。」


 ベランダ側の窓から手を振るショートの髪の少女。

 背が高く、いかにも快活そうな雰囲気の少女である。


「いちか。」


 とてとて、と梨優が少女に駆け寄る。


「うんうん、梨優はいつ見てもちっこくて可愛いなぁ♪」

「試合……。」

「ん?」

「剣道の試合……どうだった?」


「ばっちし。凛(りん)の弓道の方もかなり良い所まで行ってたよ。」

「そう……。」


 梨優と話している少女は、長谷川(はせがわ)一華(いちか)。

 梨優たちより一つ年上で、剣道部の主将である。

 今日は運動部の大会が開かれ、朝から一華は大会の方に出ていた。


「一華。こんなところに居たの。」


 おっとりとした澄んだ声が響く。


「おー、凛。ちょうど良かった、お前の話してたんだ。」

「私の? あら……梨優、ごきげんよう。」


 ベランダをこちらに向かって歩いてくるのは、膝の辺りまであるまっすぐな黒髪を後ろで一つに結んだ、神秘的な雰囲気を持つ女性。

 東城(とうじょう)凛(りん)。一華と同じ二年だが、一年の頃から学園一の弓の実力を買われて主将をつとめている弓道部のエースである。


「梨優達にも見せたかったなぁ、凛の試合! スパンスパン!って命中してさ。個人では準優勝だっけ? 惜しかったよなぁ。」

「大会の話もいいけれど、霧原先生が運動部の主将を呼んでるわ。職員室に来て。」

「あ、まじ? 霧ちゃんの頼みなら急がないと。んじゃ梨優、またな!」

「それじゃあね。」


 去っていく二人を見送り、梨優は再び掃除を始める。

 しばらくすると、早めに中庭掃除を終わらせた花澄が教室へ帰ってきた。


「梨優、もう机戻して大丈夫?」


 花澄が梨優に尋ねた瞬間だった。

 低い、不気味な地鳴りがしたかと思うと、激しい地震が麗泉学園を襲った。


「きゃああああああっっ!!」


 校舎に響き渡る、幾つもの叫び声。


「梨優!!」


 花澄が梨優の方へ、揺れに逆らいながら手を伸ばす。


「かすみ……。」


 梨優がその手を取ろうと駆けた。



 二人の指先が触れ合う、その直前。




 ゴォッ!

 強い風が耳元でうなるような音を最後に、二人の記憶は途切れた。






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