蒼き乙女と紅の姫君



第二章 蒼き乙女は水底より目覚める



 ……目覚めよ。



 目覚めよ、蒼き乙女。



―――……誰?



目覚めよ……。



――― 知ってるわ、私。貴方のその、声……。



「蒼き乙女よ!!」



 自分を包む闇が、横一文字に裂けた!

 射るような光と共に、歓声とも驚嘆ともとれる大勢の人々のざわめきが少女の身を押し包んだ。

 パチパチ、と幾度かまばたきをした後、少女は再び闇の中に身を伏せた。

 少女の動きに合わせて、闇が光を覆っていく。


「おい。」


 苛立った声に、少女は再び目を開ける。

 見ると、不機嫌そうな顔をした少年が闇に剣を突き立てていた。


「いつまで《眠りの貝》の中に居るつもりだ。早く出ろ。」


 注意して見ると、闇にしか見えなかったのは巨大な二枚貝の内側だったらしい。

 しかしそれよりも。

 少女の瞳は、目の前の少年に釘付けになっていた。

 白い髪。白い瞳。色こそ違えど、その顔立ちは。


「? 何だ?」

「ゆうとにぃっ!」

「うぐぁっ!?」


 出し抜けに少女に抱きつかれ、少年はバランスを崩して後ろに倒れた。

 しかし、倒れこむべき地面は、そこには無い。

 《眠りの貝》と呼ばれた巨大な二枚貝は、遥か高くから流れ落ちる水によって形成された深い滝つぼの上に浮かんでいたのだ。



――― 落ちる。



 少女がそう感じた時、少年の白い瞳が一瞬だけ青白く光った。

 二人の落ちる速度がゆっくりしたものになる。

 ふわり、と落ちていく体勢から着地する体勢へ。


 二人が水面に降り立った時、幾重かの波紋が水面に広がった。


 はらはらしながら先行きを見守っていた周りの人間達は、この神性さえ感じてしまう光景に息を呑んだ。


「ゆうとにぃ、どうして……。」

「僕は《ユートニー》などという名前ではない。天龍の一族第二位守護龍・白龍の《翠》(スイ)だ。」

「てんりゅ、に……? ……長い。ゆうとにぃでいいや面倒臭いし。」

「面倒臭がるなそこで! 僕は《ユートニー》などではないと言っているだろうっ。」

「ゆうとにぃは私のお兄ちゃん。」

「誰も聞いていない……何故このような小娘が僕の《蒼き乙女》なんだ。」


 疲れたような表情でつぶやく《翠》。


「《あおきおとめ》?」

「そうだ。残念ながらお前にはその印がある。」

「?」


 《翠》は少女の髪を無造作に掴むと、冷たい声音で囁いた。


「蒼い髪、蒼い瞳。それこそ《蒼き乙女》の刻印。我が一族が守護すべき人間の証だ。」

「あ……。」


 いつの間にか、黒かったはずの少女の髪は青く染まっていた。

 瞳は見ることはできないが、《翠》の口調から察するに、瞳も髪同様青く染まっているのだろう。


「痛い。放して。」

「ふん。」


 と、乱暴に少女の髪から手を放すと、《翠》はその身をわずかに浮かせ、少女に告げた。


「本意ではないが掟だ。我、白龍王《翠》。古(いにしえ)の盟約に従い《蒼き乙女》に龍の加護を与える。汝が名を我に捧げよ、《蒼き乙女》。」

「私の名前? ……梨優(りゆ)。」

「承知。梨優よ、汝に……。」

「ううん、違うよ。」


 途中で言葉を切られ、《翠》は不快そうな表情を浮かべた。


「何だ。」


「ゆうとにぃは『りぃ』って呼ぶの。」

「そんな事は知らん、続けるぞ。梨優よ、汝……。」

「違う。」

「少し黙っていろ。梨優よ、なん……。」

「違うよ。」


「…………では『りぃ』! 汝に我が名を預ける。」


 半ば投げやりに、《翠》は言葉を言い終えた。


「我の名を呼べ、『りぃ』。」


「ゆうとにぃ。」

「《翠》だ。」

「……すい?」


 《翠》の身体から、カッ、と青白い光が放たれた。

 そのあまりのまぶしさに瞳を閉じた梨優。



 再び瞳を開けた梨優の前には、一頭の美しい白龍がいた。

 長い身体を螺旋状にして梨優を包みこむ。

 そして、人々に厳かに告げた。



「《蒼き乙女》は目覚めた。この地への天の恵みを約束しよう。」



 その言葉に、大地を揺るがすかと思うほどの歓声が巻き起こる。


「『りぃ』。」


 梨優にだけ聞こえる程度の声で、《翠》は言った。


「ん?」

「ひげを引っ張るな。」

「やっぱり本物なんだ……、えい。」

「だっ…! 人の言葉が分からんのかお前は!!」



 梨優は、どこに行ってもやはり梨優だった。





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