ノスタルジア〜その名を継ぐ者〜



第四章 理由(わけ)を知りたい



 真夜中に降り出した雨は、朝になっても止む事は無かった。



☆迷いと決意☆




 雨音が聞こえる。


 金髪の少女は、自分に与えられた部屋にある窓に手を触れた。

 今が朝だという事さえ忘れそうになる程、暗く重たい空の色。


(お養母様……。)


 “グリーシュ家を継ぐ者”それはセレンにも関わってくるのだろう。



“この家系図を見て、おかしな所に気付いた?”



 何もおかしな所など無かった。


 古代帝国の血脈を誇る唯一の家の系譜。


(唯一の?)


 不自然な響きが、そこにあった。

 何かがもう少しで掴めそうな。



「お嬢。」


 少し大きめに自分を呼んだ声の方を見やると、ドアからクィーゼルがヒョコっと顔を出していた。


「どうした?」

「ノック、聞こえなかったのかよ?」

「ああ……すまない。」

「眠りの森の皇子様、目ぇ覚ましたぜ。」

「スウィングが?」

「おうよ。」


 薬を飲んでから二日。


 あのジュリアという小さな医者の言ったとおり、回復に少々時間がかかっている。

 毒と解毒薬が、どれだけスウィングの身体に負担をかけたのか。

 それを思うと、胸に何かが詰まって声が出せなくなる。


「行かないのか? 皇子のとこ。」


(待たれているのは私ではない……。)


「お嬢?」

「いや、何でもない。それよりクィーゼル。」

「ん、何だ?」

「昨日もだったが、元気が無いな。何かあったのか?」

「え……。」


とっさに否定する事ができず、クィーゼルは言葉を濁した。


「言えないのなら無理には聞かないが……力になれる事があれば言ってほしい。」

「そんな……っ。そんな事言えるのかよ、お嬢が……。」


 あからさまに文句ありげな顔で金髪の少女を見るクィーゼル。


「お嬢だって、昨日から変じゃないか。いきなり本邸に何か調べに行くし、帰って来てからも何も言わねぇし、今だって……人の事気にしてる余裕があるなら自分の事気にしろよ!」

「……そうだな。自分の問題すら解決できない私には、誰かの力になるなど到底不可能だ……。」


 金髪の少女はしばらく口を閉ざしていたが、


「先に行ってくれ。皆に話したい事がある。」


 と言って、クィーゼルの横を通りすぎて部屋を出た。


「お嬢……?」


 その背中に問いかけたつもりだったのに、クィーゼルの声は掠(かす)れて部屋の中に消えた。







 このままでいいのだろうか。


 人の居ない回廊で、少女は考えた。

 スウィングが目覚めたとなれば、また第一皇子を探しに旅に出る日も近いのだろう。


(私はこのまま、四人の傍に居ていいのだろうか。)


 人身売買の事件に巻き込まれた事で、自分の無力さは痛いほど思い知った。


 足手まといでしかない自分。

 何の力も持たない自分。


 スウィングには剣がある。

 シャルローナには意思と気高さがある。

 クィーゼルには勇気がある。力もある。

 それはニリウスも同じで、ニリウスには優しさもある。


 自分には何がある?


“何がある?”


 スウィングの背が扉の向こうに消えた時、どうしようもない悔しさを知った。


 何でも構わないから私に力をと。


 がむしゃらという言葉を知らなかった訳ではない。


 だがそれに、生まれて初めて肌で触れた様な新鮮さで。


 あの時、力を欲した。


 強く強く欲して、そういえばその後どうしたのだろう。

 あの後、いつの間にか開かれた扉の前に立っていた。


 しかも、自分がいた部屋の前では無かった。

 目に飛び込んだ室内の様子を見て、しばらく動けなくなった。


 あの……スウィングの血の気の失せた顔……。


 全て自分の無力さゆえ。


(私は、居ないほうがいい……。)


 何より、今の自分はひどく不安定だ。

 このまま第一皇子探索の旅を続けたら、また誰かを危険な目に遭わせてしまうだろう。



 それはもう、二度と嫌だ。



☆エルレア・ド・グリーシュ☆




 紅の髪が、首を傾げる動きに合わせて揺れた。


「どうして、あんな北の辺境へ?」

「さぁ……それは分からないけど、兄さん達がドルチェの森に向かったのは確かだよ。」


 スウィングはベッドから半身を起こした姿勢で応じる。

 シャルローナの横には黒い髪の少女と金髪の少女が立っていた。

 ニリウスはオパール邸内で仕事をしている。


「理由はどうあれ、今すぐに出発は無理ね。あと一日は休んでもらうわよ、スウィング。」

「先に行ってもいいんだよ、シャルル。」

「そう言って、後をこっそりついて来るつもりでしょう。却下です。」

「どうしてそんなに信用ないかな、僕は。」


 苦笑いをした後、スウィングはシャルローナからずっと黙り込んでいる金髪の少女へと視線を移した。


「エルレア? どうかした?」


 そう言われてからも、緑の瞳は少しの間物思いにふけっていた。

 やがて、少女がスウィングの青い瞳を見返して口に出した言葉は。


「私は……旅をやめる。」


 雨の音が、少し静かになる。


「ニリとクィーゼルは、二人の身の回りの世話を続けてくれ。」

「ちょっと待て、お嬢!?」

「どうして?」とスウィング。


(これ以上、迷惑をかけたくない……と言っても通じないだろうな。)


「……調べたい事がある。」


 クィーゼルが、『は?』と言うような顔をする。


「僕達には話せない? 君の調べたい事。」


 自分を射抜く、真剣さを秘めた双眸。

 初めて皇宮の庭で出会った時、同じように見つめられ問われた言葉。


『エルレア・ド・グリーシュを』


 私ではない“エルレア”を。


『知っているか……?』


―――知りたいんだ。


「スウィング。皇宮で私を試したのは何故だ?」


 向けられた刃。

 強い眼差し。


 しかしそれらから感じ取れたのは、今にして思えば殺意や憎しみではなかった。


 今だからこそ分かる。

 何かを求める、悲しいほど必死な感情。


「何のこと? スウィング。」

「シャルルには黙ってたけど、エルレアと初めて会った舞踏会の夜に、僕はエルレアに……剣を向けたんだ。」

「な……っ。お嬢は剣なんか使えないぞ!?」


 クィーゼルが怒りも露(あらわ)に切り返す。


「うん……でも、確かめなきゃいけないと思ったから……。」

「何をだよ。」


 スウィングは、緑の瞳から目を逸らさずに言った。


「君が“エルレア・ド・グリーシュ”かどうか。」


 クィーゼルは目を見開いて口をつぐんだ。

 金髪の少女は、その瞳を少し細める。


 知りたくなかったのかもしれない。


 その声で告げられる事を、本当は恐れていたのかもしれない。


(私、は。)


「ずっと昔に一度会っただけだけど……今までずっと探してたんだ。」


 彼に呼ばれるのは、嫌では無かった。


 その声が、とても耳に心地よかったから。


 向けられた笑顔がとても綺麗で、何度も見たいと思った。


 けれど、それはもしかしたら全て。


 自分がそうであるように。




「“エルレア・ド・グリーシュ”という名前の、剣の上手な女の子。」




 泣きそうに微笑むその顔で分かってしまう。



(私は、ニセモノ。)



 そう思い知った途端、少女は自分の平衡感覚が狂うのを感じた。



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