The snow of the nostalgia



―紫―



 その白い雪は、赤く染まった。
 私の大好きな人が流した血で……。



「嵐士君! こんな所に居たの、探したんだからっ。」

「ああ、ごめん。」


 振り返って笑った男の子は私の大好きな人、瀬川(せがわ)嵐士(あらし)君。


「何見てたの? あれ……二組の平沢君?」


 校庭の隅で、何事かを考え込んでいる少年が居た。


「嵐士君と仲が良かった人だよね。あんな所で何してるんだろ……。」

「下らないね。」


 ふぅ、と肩をすくませて、嵐士君は少し困った顔をした。


「え?」

「ダチが一人死んだくらいで、何もあんなにジメジメしなくても良いと思わない? 湿りすぎてて細胞の培養とかできそうだよ、あの顔。」

「嵐士君、微妙にその表現の意味が分からない……。」

「つまりね、こう、渇(かつ)でも入れてやりたいなぁって事。……紫(ユカリ)。」

「うん?」

「GO♪」

「え、ええぇえ!?」


 有無を言わせない笑顔でGOサインを出され、戸惑いながらも物思いに沈む少年に近づく。


 そして。


「か、かか、かぁーつ!!」


 ままよ、とばかりに手に持っていた教科書で頭を殴った。


「あだっっ! 何だよお前! ……ああ、何だ、嵐士の元カノ。」

「元じゃなくて現カノです!」

「ふーん。まぁ、どう思ってようがそっちの勝手だけど……何の用だよ。」

「嵐士君からの伝言です! 『ダチ一人死んだくらいでジメジメしてんじゃねーよ。』以上!」


 だだだだだ。


 それだけ言って逃げた。




 後に残された少年は、一人呆然と呟く。




「……変な女。嵐士は去年死んだってのに。」




「ありがとっ。紫は優しいからだあい好き☆」


 先ほどとは打って変わって上機嫌な様子の少年に、疲れた表情で紫は答えた。


「こういうのをパシリと言わないかな、世間一般で。」

「ノンノン。俺が『普通の人間』なら、紫の手を煩わせる事もなかったよー? だから、パシリじゃなくてお手伝いさん。しっかし、良い音したなぁ、スパコーンって。あはは。」

「紫。嵐士君。」


 長い髪の少女が、風にスカートを揺らしながら近づいてくる。


「彩(アヤ)! 生物の授業だったの?」

「そう。ちょうど良かった、紫に聞いておきたい事があったの。」

「何?」


 少女はチラ、と周りを見回し、少し考え込むように瞳を細めた。


「ここじゃちょっと話しにくいわ。屋上に行きましょ。」


 答えも聞かず、彩は再び歩き出す。


「え……うん、分かった。」


 キョトンとした後、紫は彩と並んで歩き出した。
 嵐士と呼ばれる少年も、紫の後ろについていく。

 紫が前方に気を取られていた、ほんのわずかな一瞬。

 長い髪の少女は何気ない仕草で後ろを振り返り、印を切る様に空に一文字を書いた。


 不意を突かれ、少年は驚いて立ち止まる。


(……「来るな」って事ね。)


 二人の少女の後ろ姿を見送った後、少年は神妙な顔で自分の首の辺りに触れた。


「……今、彩さん確かに触ったよな……?」





「話ってなぁに? 彩。」

「紫はどうするつもりなのかしら。」

「何を…?」


 戸惑った顔で紫は問い返す。

 風が止んだ時、彩は静かに呟いた。


「嵐士君の事…。」

「……分かってるよ。このままじゃダメだって。でも……嵐士君があんな風になっちゃったのは私のせいだから、嵐士君の為にできる事、もっとしてあげたいの。」

「……紫。それは、嵐士君にとって残酷な事かも知れないのよ?」

「……彩……。」

「……貴方がやっている事は、自分を納得させる為に一人の人間の魂を弄んでいるとも言えるの。」

「そこら辺にしとけよ彩!」


 ショートの髪の派手な少女が、屋上の扉を開け放って叫んだ。


「盗み聞きは品が無いわよ、薫(かおる)。」

「別に好きで聞いた訳じゃないよ。あんた達を追いかけてここまで来てみれば、偶然聞こえてきちまったんだから。」

「これは紫と私の問題よ。」

「違う。これは紫と嵐士の問題だろ。彩には関係ない事だ。」

「薫っ!」


 雲行きが怪しくなっていく二人の会話を紫は止めようとするが。


「関係なら、あるわ。紫を苦しめるものは私の敵だもの。それが嵐士君であろうと許さない。本当に関係ないのは薫、貴方のほうよ。」 

「何だと!?」

「霊感の無い貴方には嵐士君が見えない。彼の声も聞こえない。口出しできる立場じゃないでしょう。」

「言わせておけば…!」

「薫、彩! もうやめてってば!!」


 悲鳴に近い紫の声に、二人はハッとして言葉を呑みこんだ。

 彩と薫。二人の少女のずっと後ろで、複雑そうな顔をしてこちらの様子を見ている少年の姿を紫は捕らえる。


「嵐士君が待ってるから……もう行くね。……彩。私は私なりに彩の言った事、考えてるよ。だから、もう少し見守ってて。」


 二人の横をすり抜け、紫は少年の元へかけて行く。

 逃げるように去る少年の背中を見て紫は戸惑い、スピードを上げて追いかけていく。


 残された二人の間を、再び風が通り過ぎて行った。


「なぁ。あたしずっと気になってたんだけどさ。」

「何?」


「彩の霊感って、紫より強いんだろ? そういう血筋だって聞いたけど。」

「ええ、そうね。紫も強いほうだとは思うけど……ちゃんとした修行を受けてはいないから、我流……と言った方が分かりやすいかしら。」

「何だそりゃ。そういうのに流派とかあんの?」


 途端、彩の纏う雰囲気がガラリと変わる。

 長い黒髪は風も無いのに心なしか揺らめき、その瞳には獲物を捕らえる動物のような鋭さが宿る。


「薫………この世にはね、普通の人間は知らない方が良い世界と言うものがあるの。」


 うすら寒いものを感じて、薫が硬直する。


「わ、分かった。もうこれ以上そっちの世界の事は訊かない! 気になったのはそんな事じゃなくて、その……お前にはさ、見えてんの? 自分とか他人の将来っていうか……未来みたいなもんまで。」


 彩はふいに薫から視線を外し、遠くビル街の方を見やる。


「死者や物が語るのは“記憶”だけよ。そこに“過去”は有っても“未来”は無いわ。それに、星や夢から未来を読み解く人間なら“占い師”とか言われて時々居るけれど……あれもあくまで数ある未来の内の一つ。可能性の一つに過ぎないの。」

「彩はできんの? その“占い”とか。」


 彩は薫に視線を戻すと、首を横に振った。


「畑違いだわ。私に見えるのは“過去”だけ。でもどうして?」

「いや。あんたが嵐士にこだわるのはさ。この先、紫にとってよくない事が起こるとか知ってるからなのかなって。」

「……薫。」

「ん?」


 長い髪の少女の瞳に、不思議な色が宿る。


 それは、常人に見えないものが見える人間が、「そういう」ものを見つけた時に浮かべるような、底の見えない深遠を湛えた瞳。


「床に落ちていく花瓶を見た瞬間、薫は花瓶がどうなると思う?」

「そりゃ……〔あ、割れるっ〕って……。」

「それと同じよ。紫と嵐士君は、落ちる花瓶と同じ。これは未来(さき)が見えなくても、十分予測できる事。」

「……でもさ。」


 薫の声に、彩はわずかに首を傾げる。


「たまに〔あ、割れるっ〕って思っても割れない花瓶だってあるぜ?」


 その言葉に、彩は瞳を見開いた後、微かに哀しげに笑った。


「そうね。そんな事になればいいのに。時間は待ってくれないものだわ。もうすぐ……クリスマスが来る。」

「クリスマスって、嵐士の命日だったよな?」

「全てが変わる。その日が、最後の日よ。」

「最後?」






 紫は、身を翻して彩達の居る屋上から去った少年の背中を追いかけていた。


「嵐士君! 怒ってるの? 待ってってば……!」


 嵐士と呼ばれた少年は、ふと移動するのをやめて振り返る。

 その顔には、いたずらっぽい笑み。


「ふふーん。焦った?」

「……あ。また騙したんだね!? もう、怒ってそのままどっか行っちゃうのかと思ったじゃない……。」

「俺はどこにも行かないよ。」


 紫は、不安げにジッと嵐士を見つめた。


「……本当だよね?」

「本当本当。はい、無駄に可愛いからそういう見つめ方はやめなさい。」

「可愛いのは良い事だと思うんだけど……。」

「他の人間に見られるでしょうが。」

「私は別にいいよ。変人扱いされても。」

「俺がやなの。因みに別の意味で。」

「……ふぅん。」


 紫は不満げに唇を尖らせる。

 すると、嵐士はふいに紫に顔を近づけた。


「……!!」


 バッ、と赤面して紫は後ずさる。


「不意打ち禁止!! しかも今物凄く変な顔してたでしょ私!」

「別にいーんじゃない? 俺が見える人間自体少ないんだし。っていうか簡単にキスされる方も悪いと思うよ。紫、隙有りすぎ。」

「嵐士君、それは責任転嫁……っていうか自分勝手な言い分だと思う……。」

「少しは気をつけてねって事。分かった?」


 まだ何か言いたげな視線を嵐士に向けていた紫だったが、諦めたように視線を外して返事をした。


「はぁい。」

「うん。いー子っ。」


 なでなで、と頭を触る嵐士の指。


(ごめんなさい。)


 あれから一年が経とうとしている今でも、紫には癒えない傷がある。

 現世のものに触る事ができない嵐士の身体。
 それは、触る対象が自分でも例外ではない。


(ごめんね、嵐士君。)


 自分が全てを、彼から奪った。





 あれから。

 もう、一年。
 

 今でも鮮明に覚えている光景がある。



 車のブレーキの音、その後の嫌な音。


 あの直前、突然手を引かれた。


 『彼』にしては乱暴すぎるくらいの強い力で。



 それにびっくりして、一瞬何が起こったのか分からなかった。


 目の前に赤い雪が降った、あの日。


 気がつけば、『彼』は凍りついた道路に倒れていて。
 『彼』から流れ出る血の色が、その黒さが自分を現実に引き戻した。



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