The snow of the nostalgia



―薫―



 あたしは不幸な体質だ。

 何しろ。


 好かれたくない奴らから好かれる。



 奴らとは、そう。


「薫(かおる)! ……ねえ、またどっか怪しい場所とか行ったの?」


 朝、学校の校門付近で会うなりそう聞いてきたのは、親友の紫(ゆかり)。


「あ、紫。おはよー…って、もしかして、また?」


 うんざりした顔で尋ねると。


「うん、また。あとで彩(あや)に頼んで祓ってもらうようにね。今の人は前の二人と違って、あまり善い人じゃないみたいだから。」

「……、そうっすか……。」


 どうやらまた、あたしは『憑かれて』いるらしい。

 道理で朝から何となくついてないと思った。

 目覚まし時計はいつの間にかアラームの時間が変わってたし(8時にセットしてたのに11時になってた)、階段からは足を踏み外して落ちるし(下から2,3段目辺りだったからまだ良かったけど)、朝ごはん食べようとしたら箸は折れるし(持った瞬間ポキッ、だぜ…)、今日使うはずだった教科書は生ゴミと一緒に捨てられてたし(もう使えねえ…てか使わねえ)、新品の靴は水浸しになってたし(あれ何の水かスッゲェ気になるんだけど)。


「なぁ。紫には祓えない訳? 彩だとさぁ……何か頼みづらいっていうか……。」


 散々嫌味を言われた挙句、『じゃあ、これからは薫の事、私がしっかり監視するわ』とか言い出しそうだ。

 考えるだけで鬱になる。


「ダメダメ。私は“見える”けど祓えないの。」

「じゃあ、お前にくっついてる(と思われる)嵐士って奴は? 幽霊同士、話し合いで解決とか……。」

「あ、そういうのは霊界の掟みたいなもので禁じられてるんだって。」

「何じゃそりゃ。知ったこっちゃねェよそんなもん。」


 そう呟いて校舎に入ろうとした瞬間。


 ヒュウッ。


 ぼふっ。


 白い粉が薫の頭を中心に舞う。

 上から降ってきたのは黒板消しだった。


「………。」

「あ。ごめん、さっきのは嵐士君の仕業。」

「てっめ……嵐士!! 汚ぇ真似してねぇで文句があるなら正々堂々勝負しろぉっ!!」


 勝負しろぉっ。


 勝負しろぉっ。


 しろぉっ。


 上を見上げて啖呵(たんか)を切る薫。


「…………。」


 ガサガサガサドサッ「ニャ!!」がりりッ。


 今度は近くにあった木から白い猫が降って来た。

 猫は猫で突然の事にパニックになっていたようで、着地地点の薫の顔を引っかいた後、そのまま大慌てでどこかへ逃げていった。


「ふっ。」

「薫……?」

「ふっ、はははははは……!……良い度胸だ瀬川(せがわ)嵐士(あらし)……コロス。」

「分かってると思うけど嵐士君、もう死んでるからね……?」


 パキポキと指を鳴らす薫の隣で、紫は笑い転げている少年を見て嘆息をついた。


(ま、嵐士君が楽しんでるなら、いっか……)と思ったなんて間違っても薫には言わないでおこうと思った紫だった。










 それは、夏が始まる頃の事だった。

「1,3,7,15,31……この数列の一般項を求めるには……あ、待って嵐士君! 分かる気がする。えっと、公差……じゃないな、公比……あれ、なんか変? え? 隣り合う二項の差?……んんと、2、4、8、16……あ。……うん、分かった! これ、公比数列になってる! だから、この数列の一般項は……あ、そっか、ここは公差数列っぽくなってるもんね。だから、第10項は……1023! わーいっ、できたぁっ!! ありがとう、嵐士君っ。」


 誰も居ない教室から聞こえて来るのは、紫の声。

 独り言かと思いきや、誰かと会話をしているように驚いたり、はしゃいだりしている。

 何も知らない人間ならば、この時点で彼女は気が狂っていると思ってしまうかもしれない。

 事情を知っている自分でも、時々疑ってしまいそうになる時があるくらいなのだ。

 霊感の有る人間にしか見えないという“瀬川嵐士”という男子生徒。

 この前の定期テストで紫が数学学年一位を取ったのは、実は彼のせいらしい。

 それは紫の為にならないと、彩が彼をこっぴどく叱っていた。


 頭が良くてスポーツ万能。
 小綺麗な顔立ちで人に好かれる性格だったと言うその人物は、もうこの世には居ない。


 居ないけど、『居る』。


(微妙……だよなぁ。)


 紫に話しかけようか迷っていた薫だったが、恋人同士の時間を邪魔してはいけないと思い、その場を去った。







「紫〜っ、ごめん、世界史の教科書貸して〜…って、あれ? 居ない。」


 休み時間に寄った紫の教室はガランとして、誰も居なかった。


「しまった、移動教室か。」


 確か紫達のこの時間は、二時限連続移動教室、生物と体育の間の休み時間のはずだ。


「って事は多分帰ってこねぇよな。どうすっか……よし。ここは『借りてました』作戦でいくか。」


 つまり事後報告と言う訳だ。


「ちょっと机の中失礼?……お、有った有った教科書。……ん?」


 教科書があった場所より奥。隅の方に、金色の装飾が施された茶色い箱があるのが見えた。


(何だ、これ?)


 それを机の中から勝手に取り出した薫は、好奇心で箱を開けようとした。


「待ちなさい。」

「ぎぃやああああああぁぁおぅ!!!」


 突然耳元で囁かれた声に、薫は心臓が止まりそうになるほどの衝撃を受けた。


「うるさいわね…。」


 迷惑そうな顔をする黒髪の少女に。


「あ、あ、彩ぁぁっ!! ひっ、人を脅かすなもぅっ!!」

「やましい事をしていないなら、そこまで驚かないわよね?」

「あんたの現れ方! 普通に入り口から入って来いっての!! 何でいきなり後ろに立ってんだよ物音も立てずに! っていうかいつからそこに居たんだよ!?」

「いつから……?」


 彩は薫の前にずいっと指を立てて言った。


「A、『薫が机の中をあさり出した辺りから』。B、『箱を見つけた辺りから』。C,『ついさっき』。」

「し、C!」

「不正解。答えはDの『最初から教室に居た』よ。問題は最後まで落ち着いて聞きなさい。」

「つかそっちの方が怖ぇよ!! どこに居たんだよ、教室の!」
 一番最初に教室を覗いた時は、確かに誰も居なかった。

「さぁ……ねぇ、薫。人にはどうしても死角ができるものよ。」

「へ?」

「霊は死角に居たがるの。霊の見える人間は、言わば、死角を視るプロよ。」

「だから…?」

「じゃあ『どこが死角か』なんて、知りつくしているに決まっているでしょう。」

「……忍者かお前は……。」

「それと、それは元に戻しておきなさい。」


 彩は、薫が持っている箱を指差して付け加えた。


「そうだ、これ何なんだ? 机の奥に隠しておくようなもんじゃないだろ。」


「オルゴール。嵐士君が紫に渡した、最後のプレゼントよ。」


 薫の動きが止まる。


「え……?」

「紫にとって、嬉しくて、その数倍悲しかった日の記憶が、その中に在るの。」

「嵐士が、死んだ日か……?」

「そう。だから紫は、そのオルゴールを開けたがらない。開けたくても開けられないのね、思い出すのが怖くて。」

「……………。」



 茶色の髪の少女は、箱に視線を落としたまま呟いた。


「あたしさ。バカだし、彼氏が死んだとかいう経験もないから、威張っては言えねぇんだけど。これで良いのか? あの二人にはもっと、別の形があるんじゃねえのか? 彩。」

「『これは紫と嵐士の問題だ』って、屋上で私を止めたのは誰だったかしら?」

「違うよ。彩は紫と嵐士が離れたほうがいいって思ってんだろ。違う。そうじゃなくて、もっと、離れなくても良い方法が……。」

「理想論ね。」


 キーンコーンカーンコーン。


 授業の始まりを告げる音。

 それでも二人は、その場から動かなかった。


「だって……痛ぇよ、紫を見てると。あいつは本当に今、幸せなのか?」

「薫には……話してなかったわね。嵐士君は、何度か上の世界に行こうとしたの。けど……その度紫の精神状態は不安定になって、自殺未遂を何度も起こした。」


「は……?」


 あの紫が、自殺未遂?

 ほわほわとした笑顔からは、とても考えられなかった。


「嵐士君が紫から離れないのは、紫が自分の命を危険にさらさないようにするため。けど私は……紫は今でも十分、精神的に不安定だと思うわ。張り詰めた糸を見ているみたいで……不安になるの。まるで、嵐士君の存在だけが自分の生きる理由だと思ってしまってるような。」

「だから、もっとなんか別の…。」

「無いの。……方法なんて無いのよ、薫……。」


 苦しげに彩は顔を歪ませた。

 初めて見る感情を露にした彩に、薫は戸惑った。


「死者は生き返らない。嵐士君はもう死人で、紫は生きていかなきゃいけない。此岸と彼岸は重ならない。だから二人は別れなきゃいけないの。」

「だって、あの二人は今だって一緒に居るんだろ!? 何でそれがダメなんだよ!!」

「クリスマスまで。」

「え……?」

「嵐士君がこの世に居ることができるのは、彼の命日の12月25日まで。」

「何の事だよ。」

「それ以上現世に留まった魂は、悪霊化が始まるの。だから、彼を送らなきゃいけない。」

「……どういう事だ?」


「薫。貴方に信じていてほしい事があるの。」


 まっすぐに薫を見据え、彩は言った。


「私はいつだって紫の事を想ってる。嵐士君にも負けないくらい、紫が大切なの。だから……。」


「だから?」

「私だけは紫を裏切らない。」


 言っている意味が分からない、と薫は思った。

 それは当然の事ではないのか。


「あたしだって紫を裏切ったりしないよ。彩だって、まぁ、それなりに裏切らない。」


 視線を窓の外へと逸らせながら照れくさそうに呟いた薫を見て、黒髪の少女は何も言わずにわずかに微笑んだ。






 放課後の教室に、理知的な声が響き渡る。

「じゃあ、問題ね。哲人皇帝と呼ばれたマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝。この人が残した著書は?」

「丸く合うレリーフ探すアントニオ猪木が残した著書ねぇ……やっぱ、顎(あご)に関係した本じゃねえのかなぁ。」

「色々間違えてることに気付いているかしら薫。」

「ん? 何が?」

「あぁ、もういいわ。」

「じ……………。」


 二人の横で紫が重々しくうめいた。


「じ?」


 一体何言ってんだ、と薫は不可解そうな顔をする。


「そう。“じ”」


 見守るような視線を送るのは彩。


「じ……じっ……じぃっ……自分録!」

「惜しい。自“省”録ね。じゃあ、次は……」

「ああぁぁあぁぁ!!!」


 突然ガタッと席を立ち、絶叫する薫。


「うるさいわよ薫。どうしたの。」


 迷惑極まりない、と言った表情で、彩は薫を見上げた。


「今日って何日だ?」

「12月24日。」


 あえて確認するように薫は呟く。


「……クリスマス・イブだよな。」

「クリスマス・イブね。」

「あたし達何やってんだ?」


 紫と彩は一瞬目を合わせ、同時に答えた。


「「勉強会」」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!? 何、年頃の若い娘3人がイブの日に仲良くお勉強会ー!?」

「いいじゃないの。微笑ましくて。」

「よくないだろ!! クリスマスイブっていやぁ、恋人達の為の日だぜ?」

「とか言ってるけど貴方、彼氏居た?」


 彩は呆れたような視線を送るが、薫も負けじと言い返す。


「居ないよ。ああ居ないさ。どうせあたしの背中にゃ哀愁が漂ってるだろうさ。でも彩! 紫はともかくお前に彼氏が居ないとか言われたくねぇよ。」


 どうせお前だって一人だろうが、と言おうとした薫は、彩の底知れない笑みに固まった。


「まさか、彩……いんの?」


 そこで目を輝かせたのは紫だった。


「そうだよ、薫聞いて聞いて!! 彩ちゃんの彼氏って凄いんだよー!!」

「何だよ、また嵐士みたいな学年トップクラスの成績とかスポーツ万能とか言うオチか? もうそんな超人間にはおどろかねえぞ。」


 紫は少し考える。


「そーいうのじゃないんだけど……。」

「へー、じゃあ、名前は? 言ってみろよ。居るなら言えるだろ、彩。」

「……ツクヨミ。」

「んん……?」


 やたらと古風な発音が聞こえたのは気のせいだろうか、と薫は思った。


「聞き取れなかったなら良かったわね。そのまま忘れてしまいなさい。」


「なに、どゆこと!?」

「んーとぉ、つまりね。知らないほうが良い、って事みたい。」


 混乱する薫に、紫が言葉をかけた。


「ところで…………紫。」


 彩の声音が変わる。

 気遣うような声で、彩は次の言葉を繋げた。


「後で言おうとしてたんだけど……明日は、クリスマスね。」

「うん。」

「嵐士君の命日。」

「……うん。」


 いつも明るい紫の顔が翳る。


 ニッコリと微笑んで、彩は言った。


「お墓参りしましょうか、3人で。」

「あたしもかよ。」

「何か問題でも。」


 自分へのツッコミにはシビアに返す彩だった。


「いえ、何も……。」


 最近、彩に逆らう事自体無駄に思えてきた薫である。

 いっそ「そういう運命なのだ」と悟りを開いてしまおうか。


「なんか、変だよね。嵐士君、ここに居るのに……え!?」


 紫と彩が、同時に目を見開く。


「何?」


 嵐士という奴が、何か言ったのか。


「参ってほしいって、嵐士君が言ったの……。」と彩。

「え……。」


 紫はしばらく悩んでいたが、ふっと顔を上げた。

 その視線が、嵐士が居るであろう方向に止まる。


「分かった。私行くよ。」

「じゃあ……そうね、明日は学校帰りに、霊園に寄りましょう。」








 バスの時刻の関係で、紫は先に帰った。

 彩は風が吹き込む窓の傍に佇んでいた。


 パタ。机の上に広げられたノートの上にシャーペンを置くと、


「彩。」


 黒髪が緩やかになびく背中に、薫は声をかけた。


「お前、何考えてんだ?」


 振り返ったその瞳には、いつか見た不思議な色が宿っている。


「どうすれば……。」


 その唇から流れ出た声は、思いの他頼りなげに響く。


「どうすれば、誰も傷つかずに、傷つけずに済むのか……。」

「彩……?」


 ゆっくりと瞬きを一つした彩の瞳からは、先ほどまでの妖しい光は消えていた。


「私も甘いわね、まだまだ。」


 窓を閉めて振り返った彩は、いつもの平然とした表情に戻っていた。


「気付いた? 薫。」

「? 何に?」

「私は紫に、『三人で』お墓参りに行こうと言ったわ。“彼”は頭数に無い。」

「それ……!」

「そう。私は、“彼”が居なくなった後の約束をしたの。」








 時は戻らない。
 戻せない。

 ほどけない、絡んでしまった糸。
 絡んだ部分だけ切って捨ててしまえばいいだなんて、あたしには思えない。
 

 あたしはちゃんと、ほどいてやりたいよ。
 無理なのか?
 彩……



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