地上に生まれた天使達



―第六章 ティアン―



 キョージュの知り合いと言う男の人が工場に現れてから、もう何ヶ月も経っていた。

 あの男の人は、あの日以来見かけない。




 今朝の新聞に、隕石が降ってくるというニュースが載っていた。

 それをキョージュに伝えると、「間に合った」と言って、どこからか取り出したチョークの束を持って小屋から走り出していってしまった。


「ちょ、ちょっとキョージュっ!?」


 あんなに行動的な彼女を見た事が無かった。

 一体何が分かったんだろう。




 急いで後を追うと、彼女はレニーベルの街のレンガの地面に、チョークで線を描いていた。


「キョージュ、何してるの!?」


 何も知らない人間が見たら、気が狂ったと思われてしまうかもしれない。


「この街の下に、大昔のミトラの魔法陣があるんだ。」

「魔法陣?」

「半永久的に機能するように造られた、隕石を打ち返すミトラ文明のシステム。まだ使えるはず。」


 隕石を打ち返す? 野球のようにだろうか。


「法陣の外周に音素と元素で刺激を与える。そうすれば、眠っているこの街の法陣が発動するんだ。ここの法陣が目覚めれば、世界各地にあるミトラの隠された法陣が連動して目覚める。この星の中心にある巨大なエネルギーを、ミトラの法陣は地上へ引き出し、隕石へ放つ。」


 そう言っているうちにも、彼女は線を描き続けていた。


「分かった! 外周だよね。私、反対方向に線を描くから! キョージュの描く線を真似すればいいんだよね!?」


 キョージュは一瞬じっと私を見て、小さく頷いた。そしてポケットからチョークを山ほど渡し、「頼むよ」と言った。


「円の中心はコーネル広場の白亜の塔だ。そこから半径5キロの円を描くんだよ。レニーベルはちょうど白亜の塔を中心に円状になってる街だから、この道路に沿って描けば間違いはない。ティアン、あんたを信じてるよ。」

「……うん!」


 思えば、キョージュに何か大切なことを任されるのはこれが初めてかもしれない。

 嬉しくて、ドキドキして、意気込んで描き始めた。




 しかし描き始めると、これが意外ときつかった。


 不自然な格好で歩き続けるため、腰やら足やらが痛み出す。

 半径5キロ、直径10キロ。円周は30キロを超える。


 教授と反対方向に描いているが、教授とぶつかるのはいつになるだろう。


「公共の道で何をしてるんだ!」とおじさんから怒鳴られた。

「また変な人間が居るよ」とおばあさんが呆れていた。

「ちょっとやめてちょうだい、警察を呼びますよ!」とおばさんが叫んでいた。


「隕石がぶつかったら、沢山の人が死ぬんです! この街には、隕石を止める力があるんです! 私はそれを信じてる!」


 何度、同じようなことを言ったかしれない。後ろからがんじがらめにされて止められかけた。


 それでも振り切って、消されてもまた描いて、描いて、描いて……

 泣きながら、描き続けた。




 ふと、目の前のレンガに落ちたのは涙かと思ったら、違っていた。

 雨がポツリポツリと降り出したのだ。



「……うっ。……うう〜っ……。」


 誰からも理解されず、一人でひたすら線を描かなければいけないのが辛かった。

 天気すら、自分の邪魔をしようとしているようで。

 皆のために頑張っているのに。どうしてこんなに独りなの。

 どうして皆、分かってくれないの。


 こんな気持ちを、キョージュは一体何度味わってきたのだろう。


 飲み込みきれなかった嗚咽でうぐ、うぐ、と呻きながら、ただ、キョージュを目指して描いていた。



 その時だった。

 雨が止んだのだ。


 いや、自分の周りが雨に打たれていないだけだった。

 知らない男の人が傘をさしてくれていた。



「隕石からこの星を守るために線を描いてるのって、君?」

「……はい……そうですけど……?」

「おーい! 居たよ! こっちこっち!!」


 突然その人は大きな声で叫んだ。

 直後、複数の走ってくる足音。


 あっという間に、5,6人の若い男性に取り囲まれた。


「あ、あの……。」


 非常にまずい状況な気がする。身の危険を感じた。


「びっくりさせちゃってごめん。俺達、君の噂を聞いて手伝いたいって思ってさ。」


 最初に傘をさしてくれた男の人が言った。


「信じて……くれるの……?」

「んー、信じるっていうか、本当なら面白いなって思ってさ。どうせ放っておいたら隕石が落ちて大変な事になるらしいし、やらないで後悔するよりは?」

「なぁなぁ、これ道路沿いに描いていけばいいの?」

「あ、はい! コーネル広場の白亜の塔を中心に、円を描かなきゃいけなくて。」

「了ー解! 皆、手分けして描こう。チョーク、貸してくれるかな?」

「はい!」


 信じられなかった。

 その後も、次々に手伝ってくれる人が現れた。


 濡れた髪を拭きなさいと、タオルをくれた人が居た。

 飲まず食わずはかわいそうだと、おにぎりをくれた人も居た。




 キョージュ、優しい人達は居るよ。

 難しい事が分からなくても、頑張ってる姿を見て応援してくれる人は沢山居るよ。


 私、それでいいんじゃないかって思うんだ。


 連立方程式が解けなくたって、酸性とアルカリ性の違いが分からなくたって、一生懸命な気持ちは伝わるんだよ。

 分かってくれるんだよ。



 だから諦めないで。


 この世界を、そんなに寂しい目で見つめないで。



 ディオール教授に酷いことをした人達だって、今はきっと後悔してる。


 皆が皆、他人の痛みを知らない人達だった訳じゃないよ。

 いつだって、失敗から人間は学んでいく。そうでしょ?

 あの人達は学ぶために失敗した。

 ディオール教授にはそれが分かったんだよ。


 だからきっと、許せたんだよ。




 人間は難しいね。

 嫌な事をされると嫌な事をし返したくなる。

 親切にされると、親切にしたくなる。


『人は無意識に、他人の鏡になる癖がある』って、前に何かの本で読んだ。


 された分だけ良い事も悪い事も返そうとする。


 自分を不幸にした人間は不幸にしたいと思うし、幸せにしてくれた人間は幸せにしたい。

 そうならなければいけないと思う。




 ……そうか。

 そうだったのか。



 今更気付いた。

 彼女が責めて憎んでいるのは、自分の母親や教授を殺した人達だけじゃない。



 キョージュの心を縛る鎖の正体が、分かった気がした。



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