蒼き乙女と紅の姫君
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第十二章 王都アルディでの騎士探し
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西のイリス王国の王都アルディの大通りには、白や茶色の石を積み重ね、木材で補強された家々が立ち並んでいる。
都の中心にある王城アンリヴァンズの周りに建てられた、夥しい数の貴族の屋敷。
イリスの貴族達は皆、都に建てる屋敷の広さや外観で自分達の財力を見せつけあっている。
そのため、王城の周辺は特に絢爛豪華な屋敷がひしめきあっていた。
王城周辺とは対照的なのが、王城から最も遠い区画である。
イリス民族は、建国前から階級が厳しく分けられていた。
族長の一族、将軍の一族、兵士の一族、農民の一族などである。
その階級は建国と同時に名前が変わり、更に細かく分けられ、今は身分によって待遇も生活も全く異なるという文化が形成されていた。
水路で隔離されたような場所にあるその一画は、イリスで貧民街と呼ばれている。
王城アンリヴァンズ周辺と、最下層階級の人間達が集まってできたその一画は、さながらイリスの光と影のようだった。
花澄達が華やかな家々の立ち並ぶ通りから、橋を渡ってその一画に足を踏み入れた時、外に出ていた住人達は皆隠れるように家の中に入っていき、開けられていた窓も次々に閉じられた。
「どういう事?」
黒いフードで紅い髪を隠した花澄は、《烙》を見た。
「部外者がここに来る時は、ろくな事が無いのであろう。我もよくは知らぬ。」
「何だか、重苦しい雰囲気ですわね。」
花澄と《烙》の間に入って歩いていた蓮珠は、前に進み出る。
「露払いはお任せください、花澄様。」
「待って蓮珠。私達は人を探しに来たの。ここの人達に話を聞かなきゃ。」
《烙》は毎晩『占(せん)』という儀式をしていた。
その儀式で、ついに最後の《騎士》である《茜の騎士》の居場所が分かったと、突然《烙》は花澄を連れてここに来たのだ。
「《烙》、その《騎士》の名前や顔は分かりませんの?」
「《占》で出るのは場所のみ。それが分かるだけでも感謝してもらいたいものだ。」
「使えない龍ですわね。」
蓮珠は呆れた様子で呟くと、一番手前の家に歩いていって扉を軽くノックした。
反応はない。
蓮珠は軽くため息をつき、花澄を振り返った。
「花澄様。とにかくもう少し奥に行って、表に出ている人を探すしかないと思いますわ。」
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「子供の声が聞こえますわね」
「ええ。」
道なりに進むにつれ、子供達の遊ぶ声が近づいてくる。
その声を頼りに進むと、やがて小さな庭のある一軒の家の前についた。
庭で遊ぶ子供達を見て、花澄は首をかしげる。
「幼稚園みたいな所かな…?」
「我が姫。」
《烙》が花澄を呼んで腕を引いた直後、ひゅんっ、と風を切るような音が花澄の足元で生まれた。
見ると、何か細長い物が地面に斜めに突き刺さっている。
「……矢! 矢ですわ! 一体誰が!?」
「帰りなさい!」
新たな声の主が、家のドアを開けて現れる。
その姿を見た花澄と蓮珠は息を飲んだ。
金色の髪に赤い瞳。
花澄と同じ年頃の少年だった。
「次は当てますよ。こちらの言い分は何度もお話しました。」
言い分?
「あの、ちょっと聞いて! あたし達は人を探しに来ただけなの!」
焦って花澄が声をあげる。
すると少年は虚をつかれたような表情をした後、弓先を少しずらして緊張を解いた。
「人?」
「そう! ……えっと、《騎士》を知らない?」
「我が姫、それでは理解できまい。」
花澄は一瞬思案してから口を開く。
「この辺りに、最近どこか別の場所から来た人は居ないかな。珍しい服を着てたと思うんだけど……」
ここで、少年は髪と同じ金色の眉をわずかに上げた。
「貴方……瞳(め)が……」
「シンク!」
家の中から一人の男の子が焦ったように出てきて、金髪の少年にすがりついた。
「どうしたの?」
「リリーが、知らないおじさんに連れて行かれたよ!」
少年の顔が青ざめる。
「どっちに行った!?」
「あっち!」
金髪の少年は、男の子の指差した中庭の方向に駆け出した。
「事件ですわね。」
「私も手伝うわ。ほっとけない。」
「あっ、花澄様! お待ちください!!」
少年の後を追って走り出した花澄の後を、蓮珠が縦ロールの髪を揺らして追う。
しかし蓮珠は、2,3歩進んだ所で何か思い出したように急に立ち止まり、後ろを振り返った。
「《烙》! 貴方は留守番ですわ!」
そう言って再び、蓮珠は走り出す。
残された黒髪の青年は、その美しく整った眉宇をわずかにひそめた。
「お兄ちゃん、だぁれ?」
さきほどの男の子が、おびえたような目で《烙》を見ていた。
開いたままの後ろの扉から、更に沢山の子供達がこの様子を伺っている。
ため息一つついた後、《烙》は無愛想に答えた。
「ただの龍だ。」
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「リリー!」
貧民街と繁華街を繋ぐ橋の手前で、少年は幼い少女を連れた男に追いついていた。
「シンク!」
リリーと呼ばれた少女が少年を呼ぶ。
「リリーを放してください。その子は関係ない。」
男は鼻で笑う。
「よく言う。ツケを貯めたのはこいつらが居るからだろうが。こいつらがカタになるのは道理じゃねえか。そもそもこいつらが居なければ誰も苦労しなかったんだ。疫病神を連れていくんだから、感謝してほしいくらいだぜ。」
「その言葉を今すぐ取り消してください。人が生きる事に罪は無い。誰も他人の存在を責めることはできないんです。」
「借りたもんを返さなくていい理由にはならないんだよ。来い!」
男が抵抗するリリーの手を乱暴に引く。
「いやぁぁ!」
金髪の少年は背中にあった弓に手を伸ばすと、一瞬で矢をつがえ、男を狙って構えた。
「なんだ? こいつに怪我させたいのか?」
男はすばやく懐から取り出したナイフをリリーの腕に当てた。
リリーは悲鳴を飲み込んだような小さな声をあげ、恐怖のあまり大粒の涙をこぼす。
少年は唇を噛んだ。
矢をはずさない自信はある。
しかし万一リリーの肌を男のナイフがかすりでもしたらと考えると、矢を放つことができない。
「やっと追いついた!」
その声は、少年の背後から生まれた。
息切れをしたのだろう、苦しそうに肩を上下させた先ほどのフードを被った少女が、少年の横に立つ。
「どうしてここに?」
「だって……きっと大変な事に巻き込まれてるんだろうって思ったから……あはは、迷惑だった?」
「迷惑というか……。」
矢をつがえ、男を睨んだままで少年は返事をする。
「安心して。説明されなくても状況は何となく分かるわ。……考えがあるの。貴方はしっかり、あの子を守ってね。」
「え?」
どういう事だと聞く暇も無かった。
衣擦れの音がしたかと思うと、傍らにいた少女はフードを脱ぎ捨て男に歩み寄っていた。
紅い。
少女の華奢な背中に流れる鮮やかな紅薔薇色の髪。
その色と美しさは人間離れしすぎていて、少女をまるで造り物の人形のように見せていた。
少年は、つい数日前に聞いた言葉を思い出した。
『黒い龍の加護を受けた紅い髪と瞳を持つお姫様が、この国を救ってくれるのよ。』
「あたしとその子……交換しましょう。お金がほしいなら、私を人質にしてアンリヴァンズ城へ行けばいい。」
凛と言い放った少女に、男は気圧されていた。
少女は臆する事なくそのまま歩みを進め、男のすぐ傍で止まる。
「あたしは逃げないわ。さあ、どうぞ?」
手をつかむ男の力が弱まった瞬間にリリーは逃げ出した。
そして、少年に抱きつくと大声を上げて泣き始める。
男は意を決したように花澄の腕を掴み、鼻を鳴らして歩き出した。
少年は、心配そうに花澄を見守っていた。
男に引っ張られたせいでよろめくような足取りで歩き出した花澄だったが、あとはしっかりと歩いていった。
背筋を伸ばし、ためらわずに男についていく。しかし、視線だけは地面に落としていた。
橋の中央に差し掛かった時、歩みは止めずに花澄が顔を上げた。
「蓮珠!!」
男がぎょっとして花澄を見た時には、もう手遅れだった。
恐ろしい獣の鎖は、その一声で外されていたのだ。
男に見えたのは、何かの影だけだった。
ずば抜けた聴力を持つ《烙》には、何かが川に沈む音が聞こえた。
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「姫様ー、はらへったー。」
「こらっ、お姫様になんてくちのきき方するのよ!」
花澄達が子供達の住む家に入ると、《烙》が奥の椅子に座って待っていた。
長い黒髪はあちらこちらで小さく三つ編みにされ、先には小さなリボンが結ばれている。
周りの女の子達がこぞって《烙》の髪を編んでいるが、《烙》は子供達を振り払う様子もなく自由に編ませていた。
「何してるの?」
花澄が子供たちに声をかけてみると。
「お姫様、これからケッコン式だから、おめかししてるのー。」
「お花で飾って、きれいなおよめさんにするのー!」
庭で摘んできた花を《烙》の髪に挿して、子供たちはキラキラとした目で《烙》を見つめる。
「わーっ、きれーい!」
髪に挿された小さな花は、派手な顔立ちの《烙》の顔には素朴すぎて似合わない。
(三つ編みだってリボンだって花だって、嫌がりそうなのに)
顔で怖がらせるようなこともせずに子供達のされるがままにしている《烙》の姿は、とても不思議だった。
蓮珠は部屋の隅で必死に笑いをこらえている。
花澄はくい、と一人の女の子に服の裾を引っ張られた。
「フードのお姉ちゃん、王子様役する?」
「え。」
「バカ、王子はシンクに決まってるだろー!?」
(…あれ?)
思い出して、花澄は周りを見回した。
「蓮珠、シンクさんは?」
「ここで少し待っていて下さいと仰ってましたわ。」
「そう……。」
《烙》の座っている椅子の後ろの扉が開き、痩せた老女が現れる。
「《烙》さん、子供たちのお相手をしてくださって、ありがとうございます。」
「あ、お邪魔してますっ」
焦って花澄と蓮珠は礼をする。
「いえいえ、とんでもございません。そうですか……貴方様が、今度の姫様なんですね。」
老女が目を細めて口にした言葉に、花澄はドキリとした。
「私のような世代の人間で《烙》さんを知らない人など居ませんよ。《烙》さんは本当に変わらないのね。先代の姫様の隣にいらっしゃった時と、全く変わらない。子供達が《烙》さんを引っ張ってきた時はびっくりしたわ。」
「あの……失礼かもしれませんが、この家はどういう場所なんですか?」
「ここはね。両親を失って身寄りの無い子や、両親が居ても、色んな事情があって育てられない子の世話をする家なの。孤児院と言えば、分かりやすいかしら。」
老女は落ち着き払った様子で答える。
「シンクから事情は聞きました。お見苦しい所を見せてしまったようですね。」
「いえ……。」
「お茶を淹れるわ。どうぞ飲んでいって。」
老女が再び扉を開けて出て行こうとすると、向こう側に人影が見えた。
「あらシンク。着替えたのね。」
「はい。お茶を淹れるなら、お手伝いしましょうか。」
「いいわよ。貴方だって、たくさんお話したい事があるでしょう。皆、あちらでおやつにしましょう。」
「「「はぁーいっ!!」」」
そして、老女と子供達が去った後、扉の奥には一人の少女が立っていた。
花澄と蓮珠は、息を飲んだ。
金色の髪。たがえようのない赤い瞳。
ワンピースのスカートから伸びるのは、細くしまった足。
『彼女』の着ている服を、花澄も蓮珠も知っていた。
「さきほどは失礼しました。」
少女が少し俯くと、なめらかそうな金髪がさらさらと揺れた。
「瀧口 真紅(たきぐち しんく)と申します。」
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