蒼き乙女と紅の姫君



第四章 聖の紋章、騎士の紋章



 広大な土地に、木造の美しい御殿があった。


(歴史の教科書とかに載ってそう……。)


 こっそり梨優は思った。

 御殿を囲むように作られた川。

 湖と言い表せる程大きな池。

 その池には薄紅の蓮の華が咲き乱れ、瑠璃色の蝶が虹色に輝く鱗粉を降らせながら飛び交っている。


 まるで極楽の一部を切り取って地上へ持ってきたかのような光景だった。


 かつて、この屋敷に住んでいたのは東方の民・ザイラ民族を統べる美しい一族だったという。

 西方の民・イリス民族との先の戦でザイラの民は大敗し、その見せしめとして長の一族は女子供問わず皆殺しにされた。その首がさらされたのが、梨優が目覚めた滝のほとりだという。

 屋敷の主が使っていたと言う部屋で、梨優は歓迎の祝杯を受けていた。

 梨優の隣には白龍の《翠》が、不承不承という様子で座っている。


「《蒼き乙女》様。我らザイラの民は長き歳月、貴女様をお待ち申し上げておりました。長の一族が絶えた今、ザイラの心を一つにまとめる事ができるのは《蒼き乙女》様のみ。この御殿は、貴女様がいらっしゃるというお告げを聞き、先日イリスの奴らから必死で取り戻した御殿でございます。おお、そうです、先代の《蒼き乙女》様の呼び名に倣(なら)い、これより貴女様を《姫様》と呼ばせていただきます。」

「……先代?」

「後でまとめて教えてやる。今は黙っていろ。」


 梨優に適当に答える《翠》。

 どうやら、この宴が退屈で退屈で仕方ないようだ。

 すると突然、どたどたという足音と共に一人の大柄な男が梨優の前に現れた。


「イル殿、姫様の御前だ。控えられよ。」

「これは失礼した、なにぶん急ぎの知らせゆえ。梨優様、先ほど《聖》を一人、見つけましてございます。」

「ひじり……?」

「《蒼き乙女》の剣になり、盾になる天命を持つ者だ。」


 《翠》は梨優にそう言うと、男の方を見た。


「その者をここに。」

「……は。ですが《翠》殿。その《聖》は殊(こと)のほか気性の荒い者でして、暴れていた所を差し押さえて身元を調べていた時に《聖》だと分かった次第でございますが……。」

「構わん、連れてこい。」

「……承知致しました。《聖》をここに!」


 直後、一人の少女が二人の男に両腕を掴まれた状態で連れてこられた。


「大人しいな。さすがに暴れ疲れたか。」


 男のホッとした声がしたのも束の間、少女は伏せていた瞳をバッと上げ、男達が止める間も無く立ち上がった。


「な訳ねーだろ、お前らの言う『姫様』ってのをぶん殴りに来たんだよ!」


 言うが速いか、少女は素早い動きで梨優の方に駆けた。


「身をわきまえろ、《聖》。」


 梨優の服を掴もうと伸ばされた少女の腕は、すんでの所で少女より一瞬速く動いた《翠》によって掴まれた。

 チッ、と舌打ちして、少女は《翠》の手を振り払う。


「どいつもこいつも人の事をヒジリヒジリ呼びやがって。あたしはなぁっ! 杉山……」

「あすか?」


 『姫様』の発した声に、少女が言葉を失くす。


「何でお前があたしの名前を知ってんだよ。……あ?」


 何かに気付いたように、少女はじぃっと『姫様』の顔を凝視する。


「あああああああっ!! お前、化け物の水無瀬梨優! どうしてお前が『姫様』なんだよ、っていうかその頭と目の色は何だ!」


 どうやらこの少女は、麗泉(れいぜい)学園で花澄と梨優をしつこく追っていた不良の少女、杉山明日香のようである。

 梨優の髪と瞳の色が変わっていたため、すぐには気付かなかったようだ。


「りぃ、知り合いか、このうるさい女は。」


 迷惑そうに尋ねる《翠》に、


「ううん、知らない。」と梨優。

「ちょっと待てお前! さっきあたしの名前言っただろ!」

「顔と名前しか覚えてないもん……。」

「そういうのを『知り合い』っていってやるのが日本人の建て前ってもんじゃねーのかよ!」

「そんなしょせいじゅつ知らない。」

「漢字書けねぇくせに難しい言葉を使うな!」

「話は終わったか、りぃ。」

「うん。」

「お前……すげぇマイペースだな……。」


 勝手に話を完結され、明日香は心底疲れたような表情を浮かべた。


「《聖》、紋章を見せろ。」

「なぁ、気になってたんだけど、あんた何でそんな『上から目線』なんだ?」


 あからさまにカチンと来た顔で明日香が問うと。


「上に居るからだ。」


 と《翠》は答えた。


「……。ああ、もういいよ。真面目に聞くだけ疲れるんだって理解したよ。」


 これか? と言って、明日香は制服の袖をまくりあげ、右肩を《翠》に見せた。

 不可思議な文様が、水色に光っている。


「……信じられん、《瑠璃の紋章》だ。」と《翠》。

「何それ?」と明日香。

「……やはり、何かが狂っているようだ。お前のような人間が《瑠璃の聖》など。」

「だから《瑠璃の聖》って何だよ。」

「《聖》の頂点に立つ者。言い換えれば、兵達の総指揮にあたる者だ、小娘。」

「はぁ?」

「二度は言わんぞ。」

「わー、すごーい……。」


 ヤル気無さげな拍手を送る梨優。


「お前さぁ……大体、総指揮とかならお前が取ればいーんじゃねーの? 一番偉いんだろうがよ、『姫様』って呼ばれるくらいなら。」

「《蒼き乙女》はザイラの象徴、総轄(そうかつ)以外にもやるべき事は多い。ゆえに、『その道に通じる者』が個々の役割の大半を担う。総指揮も例外では無い。最終決定は《蒼き乙女》に委ねられるがな。まぁ、一度に言っても理解できんだろう。イル。」

「は、何でございましょうか、《翠》殿。」


 先ほど乱入してきた男が、《翠》の前に進み出た。


「お前にこの娘の保護と監視を任せる。《聖》にしかるべき知識を与えよ。」

「承知致しました。」

「そこの娘。兵と《聖》がそろい、西方・イリスとの戦が始まるまでに、《瑠璃の聖》としての力を伸ばせ。」

「え、……ええ?」

「以上だ。下がれ。」


 戸惑ったような様子の明日香を、《翠》は気に留める事なくあしらう。


「はっ。」

「ちょっと待てっ、あたしはまだ聞きたい事が!」


 男達に両腕をつかまれ、ズルズル引きづられて行く明日香に「続きはイルに聞け」と《翠》が言葉を投げた。


「……あすかは?」


 梨優が《翠》を見上げて尋ねた。


「お前が望めばいつでも呼び出せる。だが今あの娘に必要なのは落ち着いて考え、知る時間だ。……そうだな。」


 何を思いついたのか、《翠》は一人で納得して頷く。


「宴は早々に終わらせよ。《蒼き乙女》も疲れている。」

「都合いい理由にされた……。」


 自分が嫌なだけじゃない、と、ぼそっと梨優は呟いた。








「気分はどうだ、『姫様』?」

「殴られたい? それともその口、縫われたい?」


 豪華な部屋である。

 目覚めた《紅の姫君》の為だけにしつらえられた、そこは特別な部屋だった。

 金色や銀色に輝くきらびやかな室内には、二人の人物。


「できればどちらも遠慮したいが。起きて早々プロポーズされなくて良かったな、雪村。」

「あんたねぇ……他人事だからそんな事が言えるんでしょ。」


 すると芹沢玲は、考え込むように小首を傾げる。そして。


「言い方を誤ったか?」

「は?」

「『姫』という呼び方はともかく、俺は他の部分でお前をからかったつもりはない。」

「……?」

「おかしいと思っていた。何気なかったり、からかったつもりもない俺の言葉に、お前は過剰に反応する時がある。俺の言い方の問題か?」


 面食らって、花澄はしばらく言葉を失くした。


「……あんたって……実は凄くバカ?」

「何故だ?」

「だって、普通そんな事いちいち考えないでしょ。」

「考えずに毎回お前に爆発されていろ、ということか?」

「爆……そうじゃなくて、考えなくても何となく分からない? この人にはどういう言い方が良いとか悪いとか。」

「何となくで分からなかったから考えているんだ。俺の言葉のどんな部分が、お前の起爆スイッチになり得るのか知っておきたい。」


(分かった……こいつってバカなんじゃなくて、不器用なんだ。)


 明らかに普通の人間より頭が切れるのに、人付き合いに関してはズブの素人、そんな感じだ。

 冷たい奴だと毛嫌いしていたが、それは彼が、他人に対する接しかたを知らなかっただけなのかもしれない。


「いいよ。今までと同じで。ただ……そうだね、できたら、あんたの気持ちも情報と一緒に教えてよ。こんな事を知ってどう思ったとか。じゃないと、私はあんたが何を考えてるのか変に勘ぐっちゃうから。お互いを信じる為にも……必要だと思う。だって、この世界で知り合いなんて、私にはあんたしか居ないし、あんたには私しかいないでしょ?」


 そこで花澄は、一度言葉を切った。


「蓮珠(れんじゅ)じゃなくて、悪いとは思ってるけど……。」

「どうしてそこで蓮珠が出てくるんだ?」


 不思議そうな顔をして玲が問いかける。


「え……だって蓮珠の事、やけに気にしてる……よね?」

「あいつは猪突猛進だからな。見ていないと何をしでかすか気が気じゃないんだ。」

「ふーん……。」


(それは気になってると言う事じゃないの? それとも単に面倒見が良いだけ?)


「とにかく、善処はしよう。……そうだ、気になる情報が入っていた。東方・ザイラの地に《蒼き乙女》と白龍が現れたと。」

「《蒼き乙女》と……白龍!?」

「この情報が真実なら、黒龍が現れる可能性はある。」

「そりゃあ、そうだけど……何か前に、ヤバいって言ってなかった? その《蒼き乙女》とかが現れると。」

「ああ。この国の文献を調べて分かったことだが……、このイリス王国に伝わる《紅の姫君》と黒龍、ザイラ民族に伝わる《蒼き乙女》と白龍、この二組は対の関係にある。これは分かるな?」

「うん。」

「この地の支配者が変わる時。或いは、大きな戦が起きる時。時代の節目と言われる時期には必ず、この二人の伝説の少女達が現れる。そして、それぞれの少女達に集う、紋の者達。」

「《紋の者達》?」

「これだ。」


 玲は、左手首に巻いていた包帯を解く。

 するとそこから、赤く黒く光る紋章が現れた。


「何、これ……っ。あんた、身体とか大丈夫なの? 物凄く毒々しいんだけど……。」

「この世界に飛ばされた時にはもう在った。これが《騎士の紋章》の一つらしい。この紋章を持つ者は《騎士》と呼ばれる。身体は何とも無いが……これがあると色々便利だな。」

「色々って?」

「何故、身元も知れない人間が王城に出入りできると思う?」

「あー、なるほどね。」

「《姫君》の元には《騎士》が、《乙女》の元には《聖》が集う。」

「《聖》……。」

「この紋章に似ているが、色も形も違う紋章を持つ者たちだ。だが役目は《騎士》と同じ。自らの主を護り、主の為に戦う事。」

「ちょっと待って、まさか主って……。」

「今更何を動揺している。お前も俺にとっては主だ。」

「そ、そう……。」


(だから真顔でそんな事言わんでくれ、芹沢玲……。)


「話を戻すぞ。文献から察するに、《紅の姫君》、《蒼き乙女》、そして《騎士》と《聖》は、全て俺達と同じ世界の人間だ。」

「って事は、東に現れたっていう《蒼き乙女》も、あたし達の仲間って事?」

「可能性は高い。そうだとしても接触するのは難しいだろうがな。」

「敵……だから?」

「ああ。《蒼き乙女》とお前の間に私怨は無くとも、周りの人間が許さないだろう。」

「そう……でも何とかして、一度話をしたいな。」


 玲は花澄を制すように手を上げて、視線を逸らすように扉の方に移した。


「芹沢?」

「シッ。……どうなさいましたか?陛下。」

「陛下?……って、まさか!」

「はっはっはっ、《騎士》殿は全く耳が良い。」


 そんな野太い声と共に扉が開き、一人の男が部屋に入って来る。


「《紅の姫君》殿も挨拶が済んだら早々に下がられて、少し私と話でもしていかれれば良いのに。」

「そ、それは気が回りませんで……申し訳ありませんでした。」


 その会話の間にも、花澄はイリス王のなめる様な視線を絶えず感じ、鳥肌を立てていた。

 そんな事は露知らず、イリス王は話を続ける。


「何か、不便な事はございませんかな? おお、そうだ。その黄色のドレスも似合っていらっしゃるが、新たに黒いドレスを仕立てさせよう。貴女の瞳と髪には黒がよく似合う。それとも紺色がよろしいかな?」

「いえ、あの……。」

「遠慮する事はない。美しい花を愛でたいと思うのは人として当然の事だ。私は《紅の姫君》殿をできるだけ長く、できるだけ近くで見ていたいだけだよ。」

「陛下。」


 玲の止める言葉も聞かず、イリス王は花澄の白い手を握る。


「私は、是非とも《紅の姫君》殿を側室に迎え入れたいと思っているのだ。」


 我慢の限界だった。

 花澄の中の何かがぷっつりと切れた瞬間、その異変は起こった。


 もう、と室内に立ち込める煙。


 そして。




「やれやれ。どうしても我を起こさねば気が済まぬか、イリスの王よ。」




 低い、地面を振るわせるような声。

 イリス王は、驚いて花澄の手を放す。


「だっ、誰!?」

 花澄の声に。


「『誰』だと? お前の所有者だ、《紅の姫君》。我は地龍の一族第二位守護龍・黒龍の《烙》。」


 その言葉と共に煙の中から現れたのは、長い黒髪を持った優美な青年だった。



「我が姫に手を出そうとは……お前も偉くなったものだな、アース。」




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