蒼き乙女と紅の姫君



第七章 太陽の騎士と月の聖



「れ……っ。」


 《椿の騎士》だと広間で花澄に紹介されたのは、豪華なドレスを纏った美しい少女だった。

 その少女を見た途端、花澄は驚きで固まる。

 一方、問題の少女は花澄を見て、息を飲み瞳を潤ませた。


「まぁ……っ、まぁまぁまぁっっ! その麗しいお顔立ちは花澄様! そうですわね。いいえ、他の人間には分からなくても私には分かります! お会いしたかったですわ、私、とても心細くて……。ああ、なんて事! 二人は必ず巡り会う、それが運命なのですね?」

「蓮珠。」


 そう声をかけたのは花澄ではなかった。


「まぁ、玲まで。」

「なるほど。《椿の騎士》はお前か。」

「で、何で納得してるの、そこのあんた。」

「《椿の騎士》はどういう役割か話しただろう。蓮珠なら適任じゃないか?」

「ちょっと待って。そりゃあ蓮珠とは学園でもよく一緒に居たけど、時間の長さも何もかも…梨優の方がよほど《椿の騎士》向きよ。」


 玲は「言われてみれば」と首をひねった。


「水無瀬が出てこないのは疑問だな。適材適所と言う話なら、水無瀬ほど《椿の騎士》にふさわしい人間は居ないはずだが。」

「御二方(おふたかた)! それはどういう意味ですの!?」


 このまま野放しにしていると、蓮珠が話をややこしい方向に持っていってしまう。

 そう判断した花澄は、思い切って行動に出た。


「蓮珠。」


 花澄は精一杯の優しいまなざしで、蓮珠の人形のように可愛らしい顔をのぞき込む。


「はっ、はいっ?」


 思わず動揺する蓮珠。


「ここに来るまで、大変だったでしょう? 今日はもう休んでいいのよ。」


 いたわるような声。


「そ、そんな事言って、私を仲間外れにするおつもりでしょう? 花澄様。」

「私を信じてくれないの? 私は大切な蓮珠に無理をさせたくない。そんな細い身体が今も私のせいで酷使されてると考えたら……とても胸が痛むの。お願いよ蓮珠、私の言うことを聞いて。」

「花澄様……!」


 蓮珠は感動のあまり涙を浮かべる。

 そして、とどめの一言。


「貴方を、愛しているわ。」

「花澄様!!」


 抱きついてきた蓮珠の身体を受け止めて、花澄は(……勝った)と思った。


「では、私は部屋の方に下がらせてもらいますわね。花澄様がそうおっしゃるなら。」


 蓮珠が上機嫌で広間を出て行った直後、花澄は大きなため息をつく。


「当分はこの方法でだませそうね。」

「……。」

「何よ、その可哀想な人を見る目は。」

「いや、別に。」


 眼鏡の奥にある感情の読めない瞳に、花澄はため息を一つついて切り出した。


「ねぇ、芹沢。私嫌な予感がするの。もしも梨優が……。」

「ザイラ側に居たら、だろう? その可能性はゼロではない。が、だからといって今の俺達にどうこうできる問題じゃないぞ。」

「そりゃあ……そうだけど。」


 玲に断言され、花澄は口ごもった。


「だが、まだ早まらなくていいと俺は思う。そもそも、一体どれだけの数の生徒が《こちら》に飛ばされたのかも把握しきれていないんだ。水無瀬が学園に留まっていることも考えられる。」

「そう……だよね。大丈夫だって、信じなきゃ。でも、梨優がどこかで飢えてるんじゃないかと考えると心配で心配で……。」


 半分冗談のように花澄がそう言うと。


「雪村は水無瀬の保護者だな。」


 と、玲はあきれたように少し笑った。

 玲が笑ったことに一瞬驚いたあと、花澄も笑って答えた。


「そうよ。過保護なの。」









 どさっ。



 何かが倒れる音がした。

 今日はこれでもう八回目である。


「あいた。」


 間の抜けたようなこの声も、八回目だった。

 先を歩いていた《翠》は、またか、と言うような面倒そうな顔をして梨優を振り返る。


「器用な奴だな。何もない道で何故そう何度も転べるんだ?」


 梨優は何度も転んだせいで、すり傷だらけになっている。


「……すいが歩くのが速すぎるの。もう少し私に合わせて。」

「歩きたいと言ったのはお前だ。村ももうすぐだから我慢しろ。」

「もうすぐなら、ゆっくり行ってもいいじゃない……。」


 口をとがらせた梨優に、《翠》は腕組みをして尋ねた。


「そんなに歩くのが嫌だったら、僕の背中に乗って飛んで行けばいいだろう。」

「嫌。だってスカートだもん。」


 梨優はこの世界に来た時と同じ、麗泉学園の制服を着ていた。


「そんなヒラヒラした服を着ているお前が悪いんだ。この国の者たちが用意した服はどうした。」

「あれ、落ち着かないから着ない。」

「なら文句を言わずに歩け。」


 冷たい言葉ばかり投げる《翠》を恨みながら、梨優が立ち上がると。

 すっ、と誰かの手が差し出された。


「……すい?」

「また転んだら、文句を言うだろう。無駄な押し問答は嫌いだ。つかまっていろ。」


 梨優はキョトンとしたが、黙って《翠》と手をつなぐ。

 そして、《聖》を探しに再び村を目指して歩き出した。

 今は亡き兄・優都とも、よくこうして手をつないで歩いたことを、梨優は思い出していた。









 永瓏殿から、そう離れていない場所に、ヒザンの村はひっそりとあった。

 小さな山の麓の森を切り開いて作られた小さな村。それがヒザンの村である。


 その村の片隅で。


「で、何であたしたち、こんな所にいるんだ?」

「さぁ? 一体どこなのかしら、ここ……。」


 そんな会話をしているのは、長い髪の少女と短い髪の少女だった。

 麗泉学園高等部、弓道部主将・東城凛。そして、剣道部主将・長谷川一華。


「それに、何なんだよこの模様……凛のと色違いだし。」


 一華は自分の右手の甲を見下ろす。

 そこには、黒い光を放つ不可思議な赤い文様。

 それと同じ柄だが白い光を放つ青い文様が、凛の右手の甲にもあった。


「ちょっと待てよ。状況を整理してみないと……あたしたちは、職員室に向かっていた。廊下を歩いていて、それで、突然……。」

「地震が起きた。そして、気付いたらここに居た。地震が起こった直後のこと、一華は覚えてる?」

「そうだ、凛がよろめいたから腕を掴んで……、あれ?」

「私もその後の記憶が無いわ。どう見たって、ここは学園の敷地内じゃないし。地震で校舎外に放り出されたにしろ、こんな見知らぬ場所まで飛ばされるなんて無理がある。」

「そうだ、よ、なぁっ!?」


 ふらふらと歩き出した一華が、何かにつまづいて転ぶ。


「ちゃんと前を見て歩きなさい。」

「へーい……。」


 凛が差し出した右手を、一華が掴んだ時だった。



「「!!」」



 突然の衝撃に、二人は反射的に自分たちの手を引っ込めた。


「痛(つ)ぅ……っ!? な、何だ!?」


 二人とも自分の右手を押さえていた。

 お互いの姿を見て、しばらく二人は考える。


「なぁ……今、同じこと考えた?」

「多分ね。」


 そして、恐る恐る互いの左手を伸ばしあった。


「!」

「クッ……!」


 右手の甲に走る、確かな痛み。

 その原因が、右手の文様であることは明らかだった。


「触れないってことかよ……。」

「とにかく、ここがどこかを誰かに聞きましょう。そうすればもしかしたら、これが何なのかも分かるかもしれないわ。」

「ああ、そうだな。」


 それが間違いだった。

 ある村人が二人の右手の甲にある《それ》に気付いてしまったのだ。

 村人達は二人を、無理矢理別々の場所へと引き離した。








 夜も更けた頃。


「そこをどいて下さい。」

「いけません《聖》様。ここから先には《聖》様をお通ししてはならないとの村長命令が……。」


 山門で警備をする村人と口論しているのは、東城凛、その人だった。


「《聖》と、この村の村長、どちらがこの世界では上なのですか。」

「そ、それは、その……。」

「通してもらえないのなら、今ここで《聖》など辞めます!」

「お、お待ちください! 村長に……。」

「私は気は長くはありません。今この場で、貴方が判断してください。」


 村人は、凛の気迫に負けた。


「分かりました……ですが、どうぞ早くお戻りくださいませ。」


 そうして頭を垂れた村人に、凛は、


「ありがとうございます。できるだけ、貴方に迷惑をかけないようにするつもりです。」

と答えた。


 そして、山の中にある一本道を走り出す。

 黒い木々の中を走りながら、凛は考えた。



《聖》。



 一華と離された後、村人たちは自分を上座に座らせ、ささやかな祝宴を開いた。

 その中で村人たちが自分を呼ぶとき、彼らは「聖様」と言っていた。


 よく分からなかったが、この世界では権力が強い身分のようだ。

 けれど、文様の色が違うだけでこうも待遇が違うとは、どういうことだろう。

 自分は歓迎され、一華は山にある牢へ連れて行かれたという。

 一体《聖》とは何だ。


(まさか、何かの儀式の生け贄とか?)


 もしそうだとしたら、村へ戻るのは危険だ。

 だが、村を離れてどこに行けば良いのかも分からない。

 まだ十分に情報を集めきれていなかった。


(大丈夫。私には、これがある。)


 背中に背負ったものに触れる。



―――弓矢を一組……いただけますか。



 宴の席で、凛はそう言って村人から一本の弓と五本の矢を貰った。

 日ごろ扱い慣れた弓では無いが、無いよりずっとましだ。

 今はとにかく、山に幽閉された一華を助け出すことを優先しなければ。


「……ここ、かしら……。」


 乱れた息を整えながら、凛は辺りを見回す。

 山頂へ続く、緑の無い岩だらけの斜面。その斜面は、今は月に照らされて淡く光っているように見える。

 少し開けた所まで来ると、格子らしきものがちらりと見えた。


「一華! そこに居るの!?」


 すると。


「凛……?」


 弱々しい声が、自分の名を呼んだ。

 急いで近づいてみると。


「一華! どうしたの、その怪我……!」


 何かで打たれたような打撲の跡。それが一華の身体に無数に点在していた。血が滲んでいる所さえある。


「なんか……知らないけど……《騎士》がどうのって……言って……。」

「《騎士》……? 一華!」


 意識が遠のいていく一華に、凛が焦って鉄格子ごしに手を伸ばした。


 その時だった。


「触るな。」


 第三者の声とともに、凛は牢からはじき飛ばされた。


「……!?」


 その勢いのまま、地面にたたきつけられる凛。

 何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。

 咳き込みながら身を起こした凛は、さっきまで自分が居た場所にたたずむ青年の姿を見る。


「貴方……誰……?」

「《聖》などに教える名など持たんな。」


 長い黒髪を持つ整った顔立ちの青年は、フッと唇を歪ませて笑んだ。


「ちょうどいい。ここで始末してやろう、《聖》よ。」


 青年が腕を上げる。そして遠くに座り込む凛に手をかざすと、地面を揺らすように低く告げた。


「消えろ。」


 青年の手のひらから、赤い炎が生み出される。


 まるで生き物のように踊り狂うそれは、驚きに瞳を見開いた凛の方へとまっすぐに、駆けた。






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