蒼き乙女と紅の姫君



第八章 護るべきもの



 おそろしく大きな炎が、自分に迫ってくる。

 まるで映画を見ているようだと凛は思った。

 こんな事が。

 自分の身に起きるなんて。



 しかし。



 炎が凛を呑みこむ寸前、何らかの力でそれは弾かれ、消えた。


「宣戦布告もなしに《聖》に手を出すのが、お前の礼儀か? 黒龍の《烙》。」


 まだどこか幼さを残した少年の声。それでも威厳に溢れる口調だった。

 現れたのは、白く輝く髪と瞳を持った少年。


「お前は……確か《翠》と言ったか。年上に対する礼儀は習わなかったのか? 口ばっかりのお子様が。」

「あいにくと僕だって、無礼者に対する礼儀など身につけてはいない。」

「……凛?」


 新たな声が翠の後ろから聞こえた。

 凛は、その声を発した少女を見て言葉を失くす。

 よく見慣れた人物。

 なのに、その髪色だけが異様な変化をしていた。


「それが今回の《乙女》か。冴えぬ娘だな。」

「そうだな。だがお前にそれを言われる筋合いも無い。お前の《姫》こそどうした。仲たがいでもしたのか?」


 《翠》の言葉に、《烙》は嘲笑を浮かべた。


「仲たがいはお前たちザイラの得意技だろう。我らはザイラほど愚かではない。」


 その時、《烙》の後ろに、また新たな人物が現れた。


「烙!」


 人間の物とは思えない程紅い髪を持った美しい少女が、黒髪の青年に駆け寄る。


「我が姫か……来るなと言ったはずだが?」

「無理矢理こんなとこに連れてきたのは貴方でしょ!? なのに突然表情変えて“ここで待っていろ”とか言って一人でスタスタ歩いていくんだもの。気にならない訳ないわ。」

「状況が変わった。……少々面倒な奴らがいるのでな。」

「面倒な奴ら……?」


 少女は怪訝そうな表情を浮かべて、《烙》と呼ばれる男の向こう側に立つ三人を見た。

 少女、いや正確に言えば、お互いの顔を見合った四人の内三人の少女が、三者三様に驚いた表情を浮かべた。


「凛! それに……梨優!!」

「かすみ!」


 少女の声に、弾かれたように蒼い髪の少女が駆け出そうとした。

 その少女の腕を素早く掴んだのは、傍らに立っている少年。

 白く長い髪を持った神秘的な少年の姿を見つめた瞬間、紅い髪の少女は雷に打たれたように動けなくなった。


「……え……?」


 掠れた声が喉から出てくる。


「どうした、我が姫?」


 黒髪の青年の言葉が、自分の身体を通り抜けていくことに気付く。

 敵意を持ってこちらを見返す少年に、紅い髪の少女は目を奪われていた。


「……ゆう……と……?」


 白い髪の少年が、不審そうに片方の眉を上げる。

 蒼い髪の少女は、少年の手を振りほどこうともがいた。


「離してっ、離してってば! かすみ……!」


 白い少年は、黒い青年から目を逸らさないまま梨優に言葉を投げた。


「黒龍の姿が見えていないのか、りぃ。近づけば命は無いぞ。」


 黒髪の青年《烙》は、傍らに居る少女に声をかける。 


「我が姫。そこの牢の中に《太陽の騎士》が居る。その者はイリスにとって貴重な戦力だ。錠は先程焼き消しておいたゆえ、《騎士》を連れて先に戻れ。」

「え……で、でも……。」


 紅い髪の少女は、蒼い髪の少女と白い髪の少年に再度目を向ける。

 黒い髪の青年は、やや厳しい口調でつけ加えた。


「これは命令だ。我が姫であろうと逆らうことは許さぬ。」


 紅い髪の少女は一瞬躊躇した後、岩の間にある牢の方へ向かった。


「さて、白龍の《翠》……いや、白龍王《翠》よ。ここで会ったのも何かの縁だ。昔話でもしようか?」

「何だと?」


 黒髪の青年に、白い髪の少年は不機嫌そうに問い返す。


「イリスがまだ国を成していなかった頃、ある地方に一人の男が居た。黒い髪、黒い瞳。圧倒的な強さで恐れられたその男には、ただ一つ大きな弱点があった。それは、あまりに人を信じすぎる事。いや……厳密に言うなら、『あやつ』は人では無かったがな。」

「何が言いたい?」

「昔話だ、気に入らぬのなら聞き流せばよかろう。…… 『あやつ』はまんまと男の弱みに付け込んで、最後には男を裏切った。龍族の誇りを持たず、汚いやり方でしか勝利を得ることのできない奴だ。そんな話を本人から聞いたことはないのか?」

「叔父上を侮辱するな。」


 黒髪の青年、黒龍の《烙》は喉の奥で笑う。


「先代白龍王《篠》。奴の行いは奴自身だけではなく、今貴様が名乗っている『白龍王』という名をも汚したのだぞ?」

「黙れ……!」


 《翠》は、こみ上げて来る怒りを必死に抑え、冷静さを保とうとしていた。


「知らぬのなら聞かせよう、奴の愚かな策をな。」


 シュッ。


 かすかに空を切るような音がしたのは、そのすぐ後の事だった。



「《烙》!」


 牢の中に倒れていた少女を背負って出てきた紅い髪の少女が、とっさの事に叫ぶ。


「……こざかしい。」


 黒い髪の青年の右頬に、一直線に傷が現れた。

 そこから流れ出た赤い血が、彼の頬をゆっくりと伝う。


「生き急ぐか、《月の聖》。」


 黒髪の青年は、《月の聖》と呼んだ少女、凛の方へ鋭い視線を向けた。

 次の矢を弓に番え、凛は《烙》の方に構えていた。


「《聖》の分際で我に傷を負わせた事を後悔するがいい。」


 黒曜石のような《烙》の瞳が、赤い光を帯びる。


(凄い威圧感……!)


 凛は、呼吸が乱れないように細心の注意を払った。

 恐れも、不安も。


(凌駕してみせる!)


 弾かれた弦が、夜空に震える音を響かせた。

 真っ直ぐに走る凛の矢。

 しかしそれは、《烙》がほぼ同時に放った光の塊に呑み込まれる。

 そしてその光は、そのまま凛の方へと迫った。


「りん!!」


 小さな身体が、光と凛の間に走り込んだ。


「梨優!」

「りぃ!!」


 梨優の身体を光が襲う。


 バチバチという音が辺りに響いた。

 白い火花が散る。


 光に呑み込まれたかのように見えた梨優が、再び光の中から現れた。

 梨優の姿がはっきり見えるようになるにつれ、光が次第に小さくなる。

 バチバチという音と火花も、光と共に消えていった。



 完全に光が消えた後、梨優は糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。

 《翠》は梨優に駆け寄ると、その周りに素早く結界を張った。


「我の力を吸収した、だと……?」


 《烙》は倒れたままの梨優をしばらく見つめ、そして微かに目を細めた。


「《蒼き乙女》は雷(いかずち)を使う……なるほどな。同じエレメントに属する光を雷に変えて取り込んだか。ならば……この闇はどうだ。」


 《烙》の手のひらの上に、黒く禍々しい球体が現れる。


「《烙》!!」


 赤い髪の少女が、《烙》の腕を掴んだ。


「これ以上梨優に何かしたら、私が貴方を許せなくなるわ。」

「許す……?」


 《烙》は面白がるように笑む。


「許さぬなら何をする? 我が姫よ。」


 赤い髪の少女・花澄は一瞬答えに迷ったが、《烙》を見返すと静かに告げた。


「貴方を殺すかもしれない。」

「これは恐ろしいな。だが姫、我はそなたの命令は受けん。黒龍と紅の姫君は対等ではない。」

「……勝手すぎるわ。」


 《烙》は花澄には目を向けず、独り言のように呟く。


「だが……こちらの最初の目的は果たした。ここで引いても問題はなかろう。」


 そして、《翠》を一瞥した。


「白龍。お互い負傷者を抱えては満足に戦えまい。今回はここまでだ。」


 気を失ったままの少女・一華を抱え上げると、黒龍の青年《烙》は身を翻し闇に溶けていく。




 花澄は一度だけ梨優達の方を振り返った。


 白い髪の少年は、変わらず険しい表情で花澄を睨んでいる。



 梨優に近づく事は許さない。

 そう感じさせる瞳で。



「花澄……。」


 気遣うような凛の声。


「梨優を……お願い。」


 花澄には、その言葉しか言えなかった。





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