おそろしく大きな炎が、自分に迫ってくる。
まるで映画を見ているようだと凛は思った。
こんな事が。
自分の身に起きるなんて。
しかし。
炎が凛を呑みこむ寸前、何らかの力でそれは弾かれ、消えた。
「宣戦布告もなしに《聖》に手を出すのが、お前の礼儀か? 黒龍の《烙》。」
まだどこか幼さを残した少年の声。それでも威厳に溢れる口調だった。
現れたのは、白く輝く髪と瞳を持った少年。
「お前は……確か《翠》と言ったか。年上に対する礼儀は習わなかったのか? 口ばっかりのお子様が。」
「あいにくと僕だって、無礼者に対する礼儀など身につけてはいない。」
「……凛?」
新たな声が翠の後ろから聞こえた。
凛は、その声を発した少女を見て言葉を失くす。
よく見慣れた人物。
なのに、その髪色だけが異様な変化をしていた。
「それが今回の《乙女》か。冴えぬ娘だな。」
「そうだな。だがお前にそれを言われる筋合いも無い。お前の《姫》こそどうした。仲たがいでもしたのか?」
《翠》の言葉に、《烙》は嘲笑を浮かべた。
「仲たがいはお前たちザイラの得意技だろう。我らはザイラほど愚かではない。」
その時、《烙》の後ろに、また新たな人物が現れた。
「烙!」
人間の物とは思えない程紅い髪を持った美しい少女が、黒髪の青年に駆け寄る。
「我が姫か……来るなと言ったはずだが?」
「無理矢理こんなとこに連れてきたのは貴方でしょ!? なのに突然表情変えて“ここで待っていろ”とか言って一人でスタスタ歩いていくんだもの。気にならない訳ないわ。」
「状況が変わった。……少々面倒な奴らがいるのでな。」
「面倒な奴ら……?」
少女は怪訝そうな表情を浮かべて、《烙》と呼ばれる男の向こう側に立つ三人を見た。
少女、いや正確に言えば、お互いの顔を見合った四人の内三人の少女が、三者三様に驚いた表情を浮かべた。
「凛! それに……梨優!!」
「かすみ!」
少女の声に、弾かれたように蒼い髪の少女が駆け出そうとした。
その少女の腕を素早く掴んだのは、傍らに立っている少年。
白く長い髪を持った神秘的な少年の姿を見つめた瞬間、紅い髪の少女は雷に打たれたように動けなくなった。
「……え……?」
掠れた声が喉から出てくる。
「どうした、我が姫?」
黒髪の青年の言葉が、自分の身体を通り抜けていくことに気付く。
敵意を持ってこちらを見返す少年に、紅い髪の少女は目を奪われていた。
「……ゆう……と……?」
白い髪の少年が、不審そうに片方の眉を上げる。
蒼い髪の少女は、少年の手を振りほどこうともがいた。
「離してっ、離してってば! かすみ……!」
白い少年は、黒い青年から目を逸らさないまま梨優に言葉を投げた。
「黒龍の姿が見えていないのか、りぃ。近づけば命は無いぞ。」
黒髪の青年《烙》は、傍らに居る少女に声をかける。
「我が姫。そこの牢の中に《太陽の騎士》が居る。その者はイリスにとって貴重な戦力だ。錠は先程焼き消しておいたゆえ、《騎士》を連れて先に戻れ。」
「え……で、でも……。」
紅い髪の少女は、蒼い髪の少女と白い髪の少年に再度目を向ける。
黒い髪の青年は、やや厳しい口調でつけ加えた。
「これは命令だ。我が姫であろうと逆らうことは許さぬ。」
紅い髪の少女は一瞬躊躇した後、岩の間にある牢の方へ向かった。
「さて、白龍の《翠》……いや、白龍王《翠》よ。ここで会ったのも何かの縁だ。昔話でもしようか?」
「何だと?」
黒髪の青年に、白い髪の少年は不機嫌そうに問い返す。
「イリスがまだ国を成していなかった頃、ある地方に一人の男が居た。黒い髪、黒い瞳。圧倒的な強さで恐れられたその男には、ただ一つ大きな弱点があった。それは、あまりに人を信じすぎる事。いや……厳密に言うなら、『あやつ』は人では無かったがな。」
「何が言いたい?」
「昔話だ、気に入らぬのなら聞き流せばよかろう。…… 『あやつ』はまんまと男の弱みに付け込んで、最後には男を裏切った。龍族の誇りを持たず、汚いやり方でしか勝利を得ることのできない奴だ。そんな話を本人から聞いたことはないのか?」
「叔父上を侮辱するな。」
黒髪の青年、黒龍の《烙》は喉の奥で笑う。
「先代白龍王《篠》。奴の行いは奴自身だけではなく、今貴様が名乗っている『白龍王』という名をも汚したのだぞ?」
「黙れ……!」
《翠》は、こみ上げて来る怒りを必死に抑え、冷静さを保とうとしていた。
「知らぬのなら聞かせよう、奴の愚かな策をな。」
シュッ。
かすかに空を切るような音がしたのは、そのすぐ後の事だった。
「《烙》!」
牢の中に倒れていた少女を背負って出てきた紅い髪の少女が、とっさの事に叫ぶ。
「……こざかしい。」
黒い髪の青年の右頬に、一直線に傷が現れた。
そこから流れ出た赤い血が、彼の頬をゆっくりと伝う。
「生き急ぐか、《月の聖》。」
黒髪の青年は、《月の聖》と呼んだ少女、凛の方へ鋭い視線を向けた。
次の矢を弓に番え、凛は《烙》の方に構えていた。
「《聖》の分際で我に傷を負わせた事を後悔するがいい。」
黒曜石のような《烙》の瞳が、赤い光を帯びる。
(凄い威圧感……!)
凛は、呼吸が乱れないように細心の注意を払った。
恐れも、不安も。
(凌駕してみせる!)
弾かれた弦が、夜空に震える音を響かせた。
真っ直ぐに走る凛の矢。
しかしそれは、《烙》がほぼ同時に放った光の塊に呑み込まれる。
そしてその光は、そのまま凛の方へと迫った。
「りん!!」
小さな身体が、光と凛の間に走り込んだ。
「梨優!」
「りぃ!!」
梨優の身体を光が襲う。
バチバチという音が辺りに響いた。
白い火花が散る。
光に呑み込まれたかのように見えた梨優が、再び光の中から現れた。
梨優の姿がはっきり見えるようになるにつれ、光が次第に小さくなる。
バチバチという音と火花も、光と共に消えていった。
完全に光が消えた後、梨優は糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。
《翠》は梨優に駆け寄ると、その周りに素早く結界を張った。
「我の力を吸収した、だと……?」
《烙》は倒れたままの梨優をしばらく見つめ、そして微かに目を細めた。
「《蒼き乙女》は雷(いかずち)を使う……なるほどな。同じエレメントに属する光を雷に変えて取り込んだか。ならば……この闇はどうだ。」
《烙》の手のひらの上に、黒く禍々しい球体が現れる。
「《烙》!!」
赤い髪の少女が、《烙》の腕を掴んだ。
「これ以上梨優に何かしたら、私が貴方を許せなくなるわ。」
「許す……?」
《烙》は面白がるように笑む。
「許さぬなら何をする? 我が姫よ。」
赤い髪の少女・花澄は一瞬答えに迷ったが、《烙》を見返すと静かに告げた。
「貴方を殺すかもしれない。」
「これは恐ろしいな。だが姫、我はそなたの命令は受けん。黒龍と紅の姫君は対等ではない。」
「……勝手すぎるわ。」
《烙》は花澄には目を向けず、独り言のように呟く。
「だが……こちらの最初の目的は果たした。ここで引いても問題はなかろう。」
そして、《翠》を一瞥した。
「白龍。お互い負傷者を抱えては満足に戦えまい。今回はここまでだ。」
気を失ったままの少女・一華を抱え上げると、黒龍の青年《烙》は身を翻し闇に溶けていく。
花澄は一度だけ梨優達の方を振り返った。
白い髪の少年は、変わらず険しい表情で花澄を睨んでいる。
梨優に近づく事は許さない。
そう感じさせる瞳で。
「花澄……。」
気遣うような凛の声。
「梨優を……お願い。」
花澄には、その言葉しか言えなかった。
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