天と大地?
また何かのたとえだろうか。
そこら辺に居るイエスとかヤハウェとかいう人たちの話だろうか?
「…すがるもの欲しさにそこかしこで手作りの神を奉り上げ、不均衡な天秤を作り、ありもしない恵みを願う。死がそれほどまでに怖いのか。救いがそれほど欲しいのか。」
「生きてる限りは…だって、辛い事も沢山あるし、叶えたい事だって沢山出てくるよ。」
「人間には友人も、親も居る。頼れる存在が傍にありながら更に神を求めるのは何故だ?たとえ頼れる者が一人も居なくなっても、私には私が居る。それで十分だ。」
「それは…そう考える事ができるのは、ルイみたいに強い人間だけだよ。普通の人は、そんなに強くない。」
「違うな。人間は弱さを許す存在に甘えてるだけさ。元々人間が神を作り出した理由は、死の恐怖と自然の脅威に対抗できない無力感からだった。社会が形成されてからは、社会の中で生み出される数々の理不尽な事象で傷ついた心を癒すため。神だの宗教だのの類は、人類の心の隙間を埋めるために作られた公式の麻薬だよ。その世界に浸りさえすれば、一瞬だけ現実から離れて甘い夢を見られる。効き目が切れてしまえば、何も変わっていない現実と向き合わなければいけない。だから、もっともっとと深入りする連中が出てくるのさ。かつて、宗教は愚民化をもたらすと言った哲学者が居た。科学で立証された正しい知識ではなく理由があやふやな『教え』を絶対のものと信じる余り、おかしな知識ばかりが身につくんだ。」
「けど、宗教は元々綺麗なもののはずだよ。確かにルイが言うように、人間の弱さが生み出した架空の存在なのかもしれないけど…それでも、人間のモラルや常識を広めるのに貢献だってしたはずでしょ?」
「汝、隣人を愛せ、とかか? ああいう「教え」は立派なものもあるが、所詮は麻薬の代金の一部だと思うがな。加護を与えてやるからこれを守れ、という。いや、私は正直、宗教は人間によく取り入ったものだと思うよ。誰もが持つ心の弱さにつけこみ、甘い夢を見せる代わりに服従を誓わせる。しかも、麻薬で判断力を狂わせた上で従わせるんだから、このシステムを考え出した奴は中々の策士だ。だが、見返りを求める神は人間の求める真の神ではない。見返りが欲しいのは後ろで神を操っている人間達さ。欲望に汚れた人形の神と、それに踊らされる人間…面白い構図だ。」
「でも、信仰を求めない神なんか居ないよ。そもそも、人間を善い方向へ導くのが神のあるべき姿じゃないの?」
「神と一言に言っても、今は世界中にうじゃうじゃと神は居るぞ。教えも多種多様だ。それらが全て善と言えるのか?」
「神の教えの善悪を判断するのは、僕達人間だよ。」
「なら、神は必要ないだろう? 人間が善悪を判断できるのなら、神ではなく人間が人間を裁けばいい。」
ふ、とルイの睫が頬に影を落とす。
「人間は善悪を判断できない。道徳や倫理の文化は神が不要になるほど十分に発達しているのに、その文化を理解して駆使できる人間が少なすぎる。だから、甘い夢を見せてくれる物を傀儡の神と知らずに信じ込む奴らが出てくるんだよ。」
「ルイは、どうなればいいと思ってるの?」
「今や神の存在は人を甘やかし、世界の不幸を生むばかり。それは今までの歴史を見れば明らかだ。宗教の持つ依存性と中毒性に冒された人間の多さが、愚かにもこの世に傀儡神をはびこらせて来た原因だ。だが…」
美しい少女の口元に、笑みが浮かんだ。
それは、獲物を見つけた獣のような鋭い笑みだった。
「世界にあだなす“神”は全て、消えればいい。」
まるで、今から神々を殺しにいくとでも言うような口調だった。
「汚れきった神々をゼロに戻すべきだ。人の時代を取り戻す為に。」
そしてルイは、空を見上げた。
……天と大地。
昔の人間達は、『母なる大地=地母神』と、その対となる『父なる天=天空神』を信仰していたという。
それなら。
「ルイだって、天と大地を信じてるんじゃないの?」
「捨てられた、と言っただろう。人間に本当の恩恵を与えてきた神々は、遠い昔に人間を見限ったんだ。今更そんなものに、すがるつもりはないよ。捨てられた理由を考える事はあるにせよ。」
「それは、信じてるって事じゃないの?」
「朔夜。私は例えただけだよ。」
ルイは、瞳を閉じて言った。
「正確に表現するなら、人間は天と大地に捨てられたのではない。」
スッと、ルイの瞼が上がり冷たい色を宿した瞳が現れる。
「人間が、天と大地を殺してしまったんだ。自分が多少汚しても大事にはならないだとか、自分が多少無駄に使ってもどこからか無限に出てくるだとか、そんな勘違いを無意識の内にしている人間など万も居る。だがこの世はそうではない。失ってしまって還らぬものは多すぎる。それに気付かないのが、人間が今まで天と大地を殺し、これからも殺し続けていく愚かさだ。もし神が実在するのなら、何故人間に知能など与えたのだろうな。私が神なら、そんな愚かな事はしないさ。そうだな…余程退屈で、適当なおもちゃが欲しい時なら、話は別だが。」
人間は神の玩具?
「人間の世では、神は余りに無力だよ。この世で一番強い力を持つのは神でもなく幽霊でもなく人間だ。神の恩恵だと主張されるものも、過程を見れば偶然と個々の人間の行動や権力が複雑に絡み合って生んだ必然に過ぎない。というか、この世に神がいたとしたら、ロクな性格ではないだろうな。おまけに馬鹿だろう。自分に泣きつく哀れな存在欲しさに人間を生み出し、地球を破壊させ、気が向いたときにお気に入りの人間に“慈悲深い笑みを浮かべて”運を与える。裏では性悪女のように嘲笑しているぞ多分。もし本当に慈悲深く賢い神が居るなら、人類はとっくに滅んでいるさ。」
宗教は、神の存在と、この地球…人類の存在を都合良く解釈しすぎている。
実は自分も何となくそう感じていた。
慈悲深く賢い神が居るなら、人類の存在の危険さにいち早く気付いて滅ぼしている。
→神は慈悲深いから、愚かな人類を救おうと警告しているのだ。
→神の賢さは人間の及ぶ所ではない。神には神の考えがあって、今の状態がある。
そんな感じに。
だがそれは言い訳だ。
責任の一端を人類以外の何かに転嫁したいだけだ。
神の名を騙る侵略行動など幾らでもある。
あれも、犯罪の責任転嫁に過ぎない。
責められるべきは神か?
いや。そんな虚像を生み出した人類の方だろう。
神が人を導いているのではない。
人がいつの時代も神を操っているのだから。
だがそれでも、地球上に住む多くの人間が神の存在に頼ってしまう弱さを持っている。
「じゃあ、どうしようもなく塞ぎこんで、落ち込んじゃった時、ルイはどうするの?」
完璧に見えるルイなら、そんな弱さは無いんだろうか。
そんな人間が存在するのだろうか。
すると、ルイはこちらを見て、事も無げに言った。
「私にはお前が居るじゃないか。……どうした、顔が赤いぞ。」
こういう恥ずかしい事をさも当然の事のように言えるのは、彼女の美点と考えていいものだろうか。
主義思想はしばしば対立するが、何だかんだといって彼女は自分を信頼してくれている。
それは、気付いていた事ではあるのだ。
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