ノスタルジア〜紫の刻印〜



第十四章 苛立ちの理由




 翌日の朝。


 昨晩、夕食が並べられた外のテーブルには、焼きたてのパンがたくさん入ったバスケットが置かれている。その傍には、赤いジャムが入った小さなビン。人数分の皿には、瑞々しい色んな野菜とハムとチーズが盛られていた。柑橘系の果物が入ったカゴからはツンとした独特の香りがほのかに香る。

 マリアが切り分けた果物を小皿に盛り付け、それをテーブルに運んでいるのは、クィーゼルである。


「本当に手際がよくて助かるわ。」

「まあな。屋敷でだって、多い時は千人以上の食事の用意とかするし。大人数には慣れてんだ。」







 小屋の二階から、エルレアがゆっくりと降りてきた。


「……おはよう、スウィング。」


 一足先に一階に降りていたスウィングに気付いて、エルレアはいつも通りの冷静な表情で声をかけた。


 

 彼女が挨拶をしてきたら、自分もいつものように微笑んで。

 何事も無かったかのように、平静を装って。


「おはよう」と返す。


 はずだったのに。




 実際の自分の反応はといえば、彼女と目を合わせる事もできずに、そっけなく言った「おはよう」である。


「……?」


 エルレアが立ち止まり、戸惑ったような目で自分を見つめた。

 その真っ直ぐな視線が、スウィングには耐えられなかった。


「ごめん、今、誰とも話したくないんだ。」


 口をついて出たのは、拒絶の言葉だった。

 その声の刺々(とげとげ)しさに自分で驚いた。

 エルレアは一拍の後、「そうか」とだけ言って、スウィングの横を通り過ぎて外へ出て行った。



 イライラする。

 昨晩の一件から、ずっとだ。

 彼女の姿を見て、声を聞いて、その苛立ちが抑えられないほどに酷くなった。

 スウィングは、起きてから何度ついたか知れないため息をつく。

 この激しい感情は、「怒り」の感情に似ていた。

 聞いてしまいたい。

 昨日の青年は誰で、どんな関係なのかと。

 ちらちらと脳裏に浮かぶ昨晩の光景が、やけに目障りだった。



 とにかく確かなのは、先ほどの自分の態度が最低なものであったこと。

 繊細な彼女のことだから、きっと傷ついた。



 ごつ、と壁に頭をぶつけて、スウィングはもう一つ深いため息をついた。







「お嬢。大丈夫か? なんか顔色悪いぞ。」。


 小屋から出ると、朝食の用意をしていたクィーゼルから声をかけられた。


「……平気だ。原因なら分かっている。」


 昨晩の衝撃がまだ収まっていないのもあるが、先ほどのスウィングの様子も気がかりだった。

 スウィングも顔色が悪かった気がする。

 どことなく元気がないというか、彼らしくない雰囲気だった。


 スウィングとシンフォニーは、やはり似ている。

 多少の事では動じず、いつも周りを安心させるように笑ってみせるのだ。

 その彼があんな態度を取るのは、きっと何か重大な事件があったに違いない。

 昨日の夜、おやすみと声をかけられた時は普通だった。

 何かあったとすれば、今朝だろうか。


 エルレアが考え込んでいるうちに、テーブルに全員が揃い、マリアは紅茶を丁寧に淹れ、クィーゼルはそれを運び始めた。

 やがて、全員で朝食をとり始める。


「変な光景ね。」


 にべもないシャルローナの一言に、場の空気が一瞬だけ止まる。

 エルレア、セレン、クィーゼル、ニリウス、第二皇子スウィング、シャルローナ、第一皇子シンフォニー、マリア、ユリアス。

 確かに、一晩経って冷静な頭で眺めると、一つのテーブルで揃って食事を取るには立場も性格も違いすぎて異様なメンバーではあった。


「いいんじゃない? たまには。」


 スウィングが和やかに言って場を取りなす。


 エルレアはその様子を見て、少し安堵した。


 いつもの彼だ。





 マリアは、少し離れた位置に座って朝食を取っている金髪の少女の傍に歩み寄ると、静かに声をかけた。


「あの……エルレアさん。この後、少しお時間をいただけますか?」

「……はい。構いません。」

「ありがとうございます。」


 マリアは少しだけ微笑んで、自分の椅子に戻っていった。





 美味しいはずの焼きたてのパンは何の味もしなかった。

 エルレアはパンを喉に通すためだけに紅茶を飲み、最後に果物を口に運んだ。







 朝食後、エルレアはマリアに案内されて湖の傍の小屋に入った。

 小屋の中にはベッドと机といくつかの椅子があった。

 窓の近くの椅子に座っている人物の横顔が見える。


「イザヤ。」


 マリアが声をかけると、窓の外に向けられていた青年の顔が、わずかにこちらに向けられた。


「起きてるよ。……もしかして、あの子も一緒かい?」

「ええ。」

「おはよう、エルレア。」


 イザヤは、昨日呼んだ名前ではない方の名前で呼んだ。


「おはようございます。」

「君がマリアと一緒に来たという事は……どうやら、話が長くなりそうだね。近くの椅子にお座り。」

「はい。」


 エルレアはすぐ傍にあった椅子に座った。

 マリアは椅子には座らず、視線を落として静かに話し出した。


「……昨日、どうして第二皇子殿下と貴女だけ、私の術を破ってここまで来ることができたのか、考えていました。」


 その声は、彼女にしては低い声音だった。


「術?」


 エルレアは、眉根を寄せた。


「はい。ユリアスと皆さんが同時に森に入ってきた事を知って、私は皆さんをこの小屋に近づけないように、森にこう頼みました。『あなた達がよく知る者だけを、この小屋に導いて』と。森はきっと貴女の事を覚えていた。だから、ここに導いた。」


 マリアはエルレアを見たまま静かに呟いた。

 外の森が、さわさわと揺れた。


「森が騒いでいるのを、私はてっきりユリアスの事だと思ってたけど、違ったみたいね。」

「森に頼んだ、とは……」


 エルレアが気になった事を聞くと、イザヤが僅(わず)かに首を傾げるような仕草をした。


「君は、この森に入って何も感じなかったかい? 何かを感じたから、君は辿り着くはずのないこの場所まで来れたはずだ。僕らは、力の強さに個人差はあれ、植物と意思疎通できる能力を持っている。特に僕らの妹のカノンは、母がその将来を危惧(きぐ)するほど強い能力を持って生まれた。」


 エルレアは、その名前に反応した。

 マリアは深い緑の瞳を持つ少女の顔を見ながら、ゆっくりと、少し大きめの声で呼んだ。


「カノンね……?」


 そして少女の手を取ると、泣きそうな顔でほのかに笑って、そっと抱きしめた。



 良い香りのする金色の髪。

 羽を抱くように包み込まれる感覚。

 それは、少女の中に残っていた数少ない昔の家族の記憶―――別れ際の姉の抱擁(ほうよう)を思い出させた。



 身体を離して涙を拭うと、マリアは照れたように笑った。


「貴女を探してた。どこかの貴族のお屋敷に連れて行かれてから、どうしてるか、ずっと心配で……父さんは貴女を連れて行った貴族の名前も教えてくれなかったし。」

「姉、様……。」


 少女はたどたどしく、そう呼んだ。

 イザヤの時と同じく、呼び方を忘れていた。お姉ちゃん、と呼んでいた気がするが、今の自分が使うには不似合いすぎる。


「何?」

「私たちは、何者なんですか? 確かに私は、小屋にたどりつくまでの間、森の意識……のようなものをぼんやり感じていました。誰かが私に道を教えてくれているような。」

「私達は……。」

「イザヤ! 外に一杯、知らない人が居るよ!」


 焦った顔で窓をすり抜けるように入ってきてそう叫んだのは、昨晩のイザヤと共に居た少女だった。


「誰か居るんですか?」


 マリアがドアを開けると、そこに気まずそうな様子で立っていたのは5人。


 クィーゼル、ニリウス、スウィング、シャルローナ、セレンだった。


「ごめんな嬢さん、止めようとはしたんだけどよ。」とニリウス。

「だから、堂々と行けばいいって言っただろ! どうしてこうなったんだよ。」とクィーゼル。

「聞いていたのか?」と小屋の中の少女が聞く前に。

「姉様!」


 セレンが金髪の少女に駆け寄り、その袖をつかんだ。

 まだあどけない顔が、不安そうに歪んでいた。


「あの、姉様は、僕の姉様だよね? ずっと姉様だよね?」

「ああ。」


 何故、そんな当たり前のことを聞くのかと言うように少女は答えた。

 セレンはホッとした表情を浮かべる。


「マリア。」


 5人の後ろから、落ち着いた声が聞こえてきた。


「シンフォニー様!」

「例の事を隠していても話は先に進みません。彼らを信じるしかありませんよ。」


 マリアはしばらく深刻そうな顔で思案していたが、「分かりました」とつぶやいた。


「ここでは、皆さんにお話するには狭いでしょう。外へ出ましょうか。」





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