ノスタルジア〜紫の刻印〜



第十五章 深い森のカノン




「ソニア、協力してくれるかい?」


 イザヤは湖の傍で、青い髪の少女に尋ねた。


「おい、あの兄さん誰に話しかけてんだ?」


 クィーゼルの言葉に、金髪の少女は驚く。


「見えていないのか?」

「は? お嬢には、何か見えるのか?」

「私にも何も見えないわ。あなた、霊感みたいな物があるんじゃなくて?」


 シャルローナの言葉に憤慨した様子で青い髪の少女が振り向く。


「失礼ね! 私は幽霊じゃないわ! この湖の精霊よ!」

「ソニア、落ち着いて。」とイザヤ。

「お話します。私達の事。これからの事。信じていただけるかは分かりませんが……。」


 マリアは真剣な表情でエルレアに向かい合った。

 そして、意を決したように息を吸って言葉を紡いだ。


「エルレアさん。貴女の本当の名前は、カノン。」



 柔らかなマリアの声が、固く緊張していた。



「……カノン・ルーシャン・ド・カーディナル・ソルフェージュです。」




 その場に居た全員が、この言葉に驚愕の表情で動けなくなった。


「カッ、カッ……ふがっ」


 いつもの数倍の大声で叫びそうになったクィーゼルの口を、他の者より一足先に我に返ったニリウスがとっさに押さえて事なきをえた。


「カーディナル・ソルフェージュ。この家名が示す意味、お分かりになりますね?」


 オルヴェル帝国では、貴族や皇族が子供に名前をつける場合、守らなければならない決まりがある。

 貴族の子供であれば、家名は一つしかない。父か母の家名を名前の最後につける。

『エルレア・ド・グリーシュ』であれば、グリーシュ家のエルレア、という意味である。


 しかし皇族の子供は、家名が二つある。

 父と母、両方の家名を、最後につけるのだ。


 エルレアの本名だと伝えられた名前には、家名が二つ。

 片方はまごう事なきオルヴェル帝国の皇族が戴く名前である。

 それだけでもとんでもない名前であるのに、もう片方の家名は……クィーゼルの反応も当然である。

 聞いて驚かない人間は居ない。



 カーディナル―――あろうことか、この世界でのオルヴェル帝国の唯一の脅威、セインティア帝国を統べている皇族の家名であった。



 しかし、これは隠された真実のほんの一部でしかなかった。







 自らを精霊だと名乗ったソニアが、湖の上で舞う。

 彼女の手や足が空気を切るたび、輝く雫が生まれ水面に落ちて弾ける。

 マリアはそれを見ながら、慎重に言葉を選びながら話を続ける。


「今から三十年くらい前、当時の皇太子殿下が行方不明になった事件を知っていますか?」

「ソリスト皇太子のことね。」


 と、苦い表情でシャルローナが言った。

 皇族の人間にとっては、できれば忘れたい事件なのだろう。


 エルレアとセレンの顔にも、さっと緊張が走る。

 ソリスト皇太子は、グリーシュにとっても重要な人物だからだ。

 カトレア・ド・グリーシュの夫だった彼は、ハーモニアにとっては父。セレンにとっては祖父にあたる人物。


「ソリスト皇子は、この森に隠れ住みました。」

「ちょっと待って。まさか貴方達、ソリスト皇子の子供だと言うつもり!?」


 声を荒げるシャルローナを、スウィングが制した。


「今は聞こう。シャルル。」


 エルレアも動揺を隠せずに居た。

 これから明らかになる事実は、自分とグリーシュ家の関係まで崩壊させてしまいそうな気がした。

 マリアは申し訳なさそうな顔でシャルローナ達を見たが、そのまま話を続けた。


「しばらくして、ある女性がこの森に現れました。」


 それまで水面で舞っていたソニアが最後に水面に降りたつと、ゆらりと湖の上の景色が歪んだ。


「これは、この湖の記憶です。」


 湖面に人影が見えた。




「ソリスト皇子……」




 スウィングが息を飲んだ。

 湖面に佇(たたず)む男性は、薄汚れた服とボサボサの金色の髪をしていた。

 痩身(そうしん)で顔つきは獣のように鋭く、無精髭(ぶしょうひげ)を生やしている。


「何があったの……彼に。」


 目を見開いたシャルローナが、かすれた声でつぶやいた。


「お母様や皇帝陛下のお話では、こんな顔をする人じゃなかったはずよ。」

「色んな事が……あったんだと思います。詳しくは私も知らないんですけれど、生きていくのに必死だったと聞きました。」


 湖面の男性の傍に寄りそうように、小柄で清楚な雰囲気の女性が現れる。

 黒い髪を後ろでまとめ、その瞳は深い緑色だった。


「セインティアから来たという彼女は、ソリスト皇子と出会い、彼に惹かれました。二人はこの森で一緒に暮らし始め、やがて、三人の子供に恵まれました。」

「それが、あんたと、そこの兄さんと、お嬢か。あ?」


 腑(ふ)に落ちていない様子でクィーゼルはうなった。


「なあ、あのユリアスって奴は?」

「ユリアスも私達の兄弟です。でも、あの子の本当の両親は、どこか別の場所に居ます。」


 その時エルレアも、今まで思い出せなかった過去のことを一つずつ思い出していた。

 自分があの小屋を離れることになった時、確か兄弟は自分を含めて六人居た。

 自分の下には、歩き始めたばかりの泣き虫の弟が居た。

 あれがユリアスだったのだと気付く。


「この森には、昔からよく子供が置き去りにされるんです。ユリアスも、その一人です。」

「……だから、その二人の間に生まれた子供って意味ではあんたら三人な訳か。」

「はい。セインティアから来た母と、母の血を引く私達には、生まれつきオルヴェルの人には無い特殊な力がありました。木や草、物に宿る精霊を見たり、その声を聞いたりする能力が、その一部です。」

「一部?」

「ええ。『タムトの腕輪』を持ってるでしょう?」


 マリアにそう言われ、エルレアは自分の腕に通した鈴のブレスレットを見た。


「それを解放するとき、貴女は新たな力を手に入れる。けれど、その力は諸刃の剣。貴女が命に換えても守りたい物ができた時に、使いなさい。……母が私に教えたことです。」


 エルレアは初めて聞く「母の言葉」に少し興味深げに眉を上げた。


「なぁなぁお嬢、お嬢もグリーシュの屋敷で草と話ができたのか?」


 クィーゼルが聞くと、エルレアは顎(あご)のあたりに指を当てて考えた。


「……いや。だが、何となく植物の思っていることを分かる気はした。所詮私の妄想か何かだと思っていたが……。」

「私もイザヤも、タムトの腕輪は解放済みです。もしかすると、貴女もタムトの腕輪を解放すれば、もっとはっきりと植物達の声が聞こえるかもしれません。」

「解放……したのですか?」

「母は、随分昔に病気で亡くなりました。貴女がこの森を去って、しばらくして父も亡くなって、私達は兄弟5人で生きていかなければいけなくなった。それには腕輪の解放が必要だったの。」




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