ノスタルジア〜紫の刻印〜
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第十八章 それに気付いてはいけない |
ベッドの中で、毛布を被り耳を塞いでいた。
怖くて震えが止まらない。
今外から聞こえてくる悲鳴は、血が噴出すような音は、怒号のような叫び声は、村が襲われた時に聞こえていた音に酷似していた。
何が起こっているのだろう。
外が騒がしくなって、どれくらい経ったのか、地響きのような沢山の足音と共に、鎧の軋む音が自分の部屋に近づいてきているのに気付いた。
武装した沢山の人間が、廊下を急ぎ足で歩いている。
扉という扉を開けて回っているのだろう。
部屋に居た人間達の断末魔の叫びが、次々に聞こえてくる。
だんだん、こちらに近づいてくる。
逃げなければと思ったが、ここは三階で窓の外には足がかりになりそうな物もない。
ならば、隠れなければ。
ベッドの下。クローゼットの中。花嫁のための仮の部屋には、ろくな隠れ場所は無かった。
カーテンを取り、それを被って部屋の隅で小さくなってみるが、まるで意味が無い。ここに居ますと言ってるようにしか見えないだろう。
扉が開けられた。
だが聞こえてきたのは、明日自分の婿になるという男の声だった。
この国の言葉で、早く逃げろ、行くぞ、と言われた気がした。
振り返ろうとした瞬間、嫌な音が聞こえた。
鋭い刃物が肉を切り裂く音だ。
そして、何かが飛び散る音、滴る音、倒れる音……石の床のはずなのに、部屋に入ってきたらしい新しい足音はまるで水溜りを歩くような音だった。
後ろの光景がどうなっているのか、たやすく想像できた。
だからこそ、息をするのすら忘れて硬直したように動けなくなった。
足音は、迷いなく自分の方に向かってきていた。
身を隠していたカーテンに手をかけられた時、自分の中に残っていたのは最後の抵抗だった。
勢いよくカーテンを払うと、両手の拳を握ってめちゃくちゃに暴れた。
訳の分からない事を叫んでいたような気もする。
不意を突かれて相手は焦ったようだったが、それも一瞬だった。
払ったはずのカーテンで強引に肩や腕が包まれ、身動きが取れなくなる。
そうされると更に混乱して、ジタバタともがいて悲鳴をあげた。
相手からカーテンごと抱きすくめられていることに気付いたのは、しばらく経ってからだった。
「落ち着けアナスタシア! 俺だ。」
何度呼ばれたのだろう。彼は多分長い間、混乱した自分の耳元に呼びかけていた。
叫ぶのを辞めた時、彼は自分を抱きしめたまま何度か頭を撫でて、顔が見える程度に身体を離した。
間近でルクレティウスの顔を見て、安堵する。
血だらけで、傷だらけ。
でも、彼だ。
「怪我はないな?」
まだ上手く働かない頭で、何とか頷く。
気が抜けると、涙が頬を伝っていた。
「帰るぞ。」
「……うん。」
ぶっきらぼうな彼の声が、何故か優しく聞こえた。
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☆ |
シャルローナを小屋のベッドに運び終えたスウィングは、小屋のすぐ傍にある大きな木の下に、金髪の少女が座っているのを見つけた。
話しかけようと思った。
けれど今朝の自分の態度を思い出すと、またあんな態度を取ってしまわないかと不安になってしまった。
それでも、謝らなければ、と思った。
昨晩見たエルレアを抱きしめていた青年は、イザヤというエルレアとは血の繋がった兄で、それを勝手にいかがわしい関係だと思い込んで、エルレアに冷たい態度を取ってしまった。
けれど、スウィング自身が今朝の自分の反応に戸惑っていた。
エルレアに想い人が居るかもしれないと考えると、どういう訳か不快なのだ。
将来の自分の妃になるかも知れない人物とはいえ、スウィングも皇族や貴族の結婚観など理解している。
立場が高ければ高いほど、夫と妻が相思相愛かどうかはほとんど問題ではないのだ。大切なのは、それぞれの役割を果たすこと。
その辺りは、スウィングもある程度割り切っている。
では、彼女が自分の妻になるかもしれないから、という理由以外でこの不快な気持ちのそもそもの原因は何なのかと考えるのだが、それは考えてはいけないもののような気がしてならなかった。
それでも何となく、その原因がスウィングにも分かっている。
そのかすかに感じる気持ちを言葉として表してしまうのが、それがそうだと自分で認めるのが怖いだけなのだ。
もしそうだとしたらまるで、―――のようではないかと。
だが、このまま彼女と上手く話せない状態が続くのも嫌だった。
「エルレア。」
呼びかけると、彼女はこちらを振り向いた。
見つめる者全てを魅了してしまいそうなほど印象的な深緑色の瞳が自分を映す。
「何か考えごと?」
スウィングが問いかけると、エルレアは少し視線を落として「ああ。……ちょうど終わった。」と答えた。
その視線の先には、エルレアの左腕に通した鈴のついた腕輪がある。
「それがタムトの腕輪?」
「そうだと思う。私が生まれた時、母が作ってくれた。」
「可愛い腕輪だね。」
エルレアは黙り込み、その腕輪を見つめる。
スウィングはエルレアの隣に座ると、近くから彼女を見つめた。
「今朝は、ごめん。許してもらえる?」
「今朝……? いや、気にしていない。」
そう言った彼女の表情は相変わらず感情が読み取りにくく、本当に全く気にしていないようにも見える。
少し、拍子抜けだった。
もっと……
(もっと? ってなんだ?、)
自分は、一体どんな反応を彼女に求めていたのか。
彼女の反応としては、今のは至って自然だ。
だが、ちくりとした確かな痛みが胸に走る。
「スウィング? どうかしたか?」
彼女の飾らない視線にさらされると、心臓が締め付けられるようだ。
ダメだ。
このままでは、何もかも見抜かれてしまう。
ごまかさなければ。
どんな手を使ってでも。
スウィングは、一瞬で自分の取るべき行動を考え、
「ううん、なんでもない。」
と、女性なら皆とろけてしまいそうな甘い微笑を浮かべた。
それは、エルレアに今まで見せてきた笑顔とは違う。
スウィングが自らの美貌を最大限に活かした完璧な笑顔だった。
しかしエルレアは、この笑顔を向けられて凍りついたように動かなくなった。
「……もしかして怒っているのか?」
「どうして? 怒る理由なんてないよ。」
特に女の子相手にならば、この笑顔を向ければ何でもごまかせた。
「怒っているのか」と聞かれたのは初めてだ。
そうか、だから彼女と居ると楽しいのか、とスウィングは思う。
彼女は、今まで周りに居た女の子達の反応とは違うものを返してくる。
舞踏会や茶会で出会う女の子達とも違う。
シャルローナには……強がりな所が少し似ているかもしれない。
けれど、同じかと言われればやはり違う。
彼女が持つ静かな雰囲気は、冷たいようでいてほのかに暖かい。
それでいて彼女の言動はいつも、自分の予想を超えたものだ。
多分彼女の言うとおり、自分は少し苛立っていた。
けれどその理由を深くは考えたくなかったし、誰にも知られたくもなかった。
わずかな戸惑いが読み取れるエルレアの表情が、いつもより幼く見える。
少し意地悪をしてしまったという罪悪感もあるが、彼女の新鮮な反応を楽しんでいる自分も居た。
優しいだけじゃいられない自分は、子供っぽいのかもしれない。
けれど、彼女だって悪い。
だって、ずるいよね?
気持ちをかき乱されるのが、僕ばっかりなんて。
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