ノスタルジア〜紫の刻印〜
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第六章 二人の皇子 |
翌朝、マリアは朝食の支度をしていた。
「おはようございます。早いですね。」
奥の部屋から出てきたシンフォニーは、せっせと働くマリアを見て笑いかけた。
「私にできる事なら、言ってもらえれば手伝いますよ。」
「と、とんでもありません! シンフォニー様に家事を手伝っていただくなんて……。」
「マリア、気遣いはとても嬉しいんですが、あんまりそう邪険(じゃけん)にされると、いくら私でもその内すねちゃいますよ?」
「……。分かりました……。」
この人には多分、一生敵わない。そんな諦めにも似た予感を感じながら、つい先ほど料理を盛った皿を木の盆に並べた。
「これを、イザヤの所へ運んでください。もう起きていると思うので。」
うっかり見惚れてしまいそうになるほど魅力的に笑んで、シンフォニーは言葉を返した。
「承知いたしました、姫君。」
「お、お願いします。」
盆を持って裏口から出て行くシンフォニーに背を向け、マリアは大きなため息をついた。
彼に見られていると、そわそわしてしまう。
前はこんな事、無かったのに。
皇宮に居た頃、彼の傍は唯一心安らげる場所だった。
気を張ってばかりの毎日の中で、彼が居る空間は、まるで空気が違った。
木漏れ日の差す丘。
マリアは窓から見える一本の樹を見つめ、もうその下には居ない一人の女性の姿を思い出した。
シンフォニーの温かさは、彼女の温かさによく似ている。
でも、ここ最近は彼と話すと変に緊張してしまう自分が居る。
自分は、どうかしてしまったんじゃないかと本気で心配になるのだ。
ふぅ、とマリアは再びため息をついた。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
コン、コン。
小屋の扉をノックする音に、物思いにふけっていたマリアはビクリと振り向いた。
そして、自分が意図的にこの場所に辿りつけるようにしていた人物を思い出す。
いつもはノックなんかしないのに、今日は妙に律儀だ。
「はーい。」
ギィ、という音をきしませて扉を開くと、そこに立っていた人物を見てマリアは息を呑んだ。
見覚えのある顔だった。
皇宮で何度か『彼』の隣に居た。
彼とよく似た……けれど彼より少し幼さを残した面差しの。
「第二皇子殿下……!?」
遅れて、皇子の後ろから一人の少女が現れる。
少女はマリアと目が合うと、軽く礼をするような仕草を見せた。
「僕をご存知ですか? なら話は早い。兄上は、ここに居ませんか?」
青ざめて言葉を失ったマリアの後方から、のんびりした声が返った。
「君らしくないですね? スウィング。“兄上”なんて。」
ハッ、とマリアは振り向く。
スウィングは目を見張った。
「兄さん!」
「はい、兄さんですよ。質問はできれば一つずつでお願いしますね。」
相変わらず、余裕とも取れる笑顔でシンフォニーは弟と再会した。
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☆ |
「シャルルじゃないんですね。」
シンフォニーはエルレアに視線を投げると、何気なくそう言った。
「あの娘(こ)の事です。来ているんでしょう? この森に。」
「うん。来てるよ。」
「でも、森には……。」
そこまで言って、マリアは自分の口を押さえた。
「どうしました? マリア。」
「いえ……森には、簡単にここまで来られないように仕掛けをしましたので……解きますか?」
「そうですね……スウィングにも見つかっちゃいましたから、もう解いてしまってもいいですよ。手が空いていれば、狼煙(のろし)でも炊いてあげて下さい。こんな広い森で迷ったら大変ですから。」
「はい。」
マリアは一瞬だけ、皇子達を心配そうに見やったが、何も言わずに外へ出て行った。
シンフォニーは再度、エルレアを見る。
柔らかな雰囲気はそのままだが、目元は笑んでいない。
「お会いした事はありません……よね。失礼ですが、どちらのお嬢様ですか?」
「グリーシュ家のエルレアです。」
シンフォニーは驚いたような表情を浮かべる。
「グリーシュ……これも因縁ですかね……。」
暗い影がシンフォニーの瞳に落ちる。
「兄さん?」
「ああ、いえ、何でもありませんよ。それで、どうしてグリーシュのお嬢さんまで私を探しているんですか? まさか偶然そこで会った、という訳でも無いでしょう。」
「……。」
スウィングとエルレアは、しばらく見つめ合ってしまった。
元々の旅の目的。
消えた第一皇子、シンフォニーの婚約者シャルローナの依頼から、旅は始まったのだ。
第一皇子が見つからなければ、シャルローナの婚約相手は第二皇子であるスウィングになる。
もし、第一皇子が見つかれば、シンフォニーとシャルローナの婚約は維持され、そして。
『もう一つの婚約』が成立する。
そのことを両者とも言い出せず、ただ時間だけが流れる。
「あの……もしかして私、邪魔者ですか? それなら席を外しますが……。」
本当に出て行こうとするシンフォニーを、スウィングは慌てて引き止める。
「違う。違うから待って兄さん。エルレアは……兄さんが戻ってきたとき、僕と婚約するかもしれないんだ。」
「まさか。ありえませんよ。そんな事。」
驚いたのはスウィングとエルレアの方だった。
「どうして…そう言い切れるの?」
スウィングの問いに、シンフォニーはわずかに間を置いて、少し声を抑えて応えた。
「皇族は、グリーシュに対してあまり良い感情は持っていないはずです。グリーシュのカトレア様と結婚したソリスト皇子の事もありますし、グリーシュの血はソルフェージュに入れるべきではない。」
「だから、どうしてそう言いきれるんだ!」
思わず、という風に声を張り上げたスウィングを見て、シンフォニーは目を丸くした。
「皇族の代表達の中には、グリーシュを不吉がっている人間も少なくないんですよ。どうしたんですか? スウィング。」
心底不思議そうな表情で見つめられ、スウィングはバツが悪そうな顔をした。
「……ごめん、ちょっと声が大きかった。」
スウィングの後姿を見守っていたエルレアは、何故スウィングが突然シンフォニーに強く問いかけたのか分かっていた。
それが“グリーシュの秘密”に関わることだからだ。
遠い昔からグリーシュが受け続ける罰。
たった一人の後継者を除いて、他の子供達の命をささげなければならない儀式。
スウィングは、その儀式に散った一人の少女を想っていた。
だがもしスウィングが問い詰めなくても、自分が代わりにシンフォニーに尋ねていただろう、とエルレアは思う。
あの少女の十字架に誓ったのだ。
必ずグリーシュの“罰”を終わらせると。
「……何かありそうですね。」
ギィッ。
エルレアとスウィングの後ろにある扉が、音をたてて聞いたのはその時だった。
「君は……っ。」
振り向いたエルレアとスウィングは、扉を開けた人物を見て一瞬声を失った。
相手も、ドアの取っ手を握ったまま固まっている。
エルレアは、記憶の引き出しにしまっていた名前を静かにつぶやいた。
「ユリアス。」
「なんであんた、ここに居んの?」
三人は、それぞれ違った意味でこの再会を驚いていた。
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☆ |
ユリアス。
それは、ある少年の名前である。
銀の髪。銀の瞳。
セレン・ド・グリーシュと同じ年頃の少年でありながら、大人顔負けの頭脳を持つ。
特に薬に関する知識に富み、新たな毒薬を創り出すなど、類(たぐい)まれな才能を持つ少年である。
エルレアとスウィングがこの少年に初めて会ったのは、ファゴットという街の宿屋だった。
その時彼は人身売買の闇組織で、商品である人間達を集め、運ぶ男達のまとめ役として、また薬師(くすし)としても活躍していた。
二人はこの少年によって、あやうくセインティア―――オルヴェル帝国と三千年対立し続ける、もう一つの帝国―――へ売り渡される所だったのだ。
かくして。
「一体何をやらかしたんですか? 君。私でもここまで不機嫌なスウィングは見た事ありませんよ?」
彼が組織を去る間際、ある程度会話をしていたエルレアは、ユリアスに対して憎悪や嫌悪の感情は薄れていたが、スウィングはそうもいかないようだった。
何しろ彼のせいで、命が縮む経験をさせられたのだ。
無理もない、とは思うのだが。
エルレアはチラ、とスウィングを見てみた。
およそ公(おおやけ)の場では見せないだろう、と思う程険しい表情で、彼は椅子に座ったまま窓の外の風景を見ていた。
「別に。っていうか、そこの女の人に嫌われてんなら話は分かるけど、どうして会ったことも無い人が俺を見て怒る訳?」
それを聞いて、エルレアは首を傾げた。
スウィングの事を、まるで直に見たかの様に教えてくれたのではなかっただろうか。この少年は。
あの暗い部屋で。
そこで、エルレアはある事に気付いた。
「ユリア……」
しかし、エルレアより先にスウィングが行動を起こした。
「会ったことも無い人、か。これでもまだそう言える?」
それまで外していた黒髪のウィッグを付け、顔にかかった横の髪を長い指で優雅に払うと、スウィングはユリアスに冷たい微笑みを見せた。
「嘘……。」
あっけにとられてつぶやくユリアス。
「ユリアスは、黒髪のスウィングしか見たことが無かったからな。」
スウィングに気付かなかったのも無理はあるまい、と納得したエルレアの耳に、狼煙(のろし)を炊いて戻ってきたマリアの声が聞こえた。
「ユリアス!」
「ああ、やっぱり貴方の知り合いですか。」
外から戻るなり少年を見て声をあげたマリアに、あくまでのんびりと問いかけるシンフォニー。
「知り合いというか……。」
「なぁ、この人たち誰? マリア姉(ねえ)。」
「……弟です。」
(……弟?)
エルレア・スウィング・シンフォニーは、三人同時に心の中でその単語を繰り返した。
コンコンコン!と、扉を叩く音が響いた。
「千客万来ですね、今日は。」
シンフォニーは、少し好奇心を含んだ声でノックの音に答える。
「どうぞ。……と言っても、ここは私の家じゃありませんが。」
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