ノスタルジア〜紫の刻印〜



第八章 隠された本質




「そういえばユリアス、あの組織がどうなったか知っているか?」


 突然エルレアに声をかけられた銀髪の少年は、わずかに戸惑ったような顔をした。


「何?」

「お前が関わっていた人間達のことだ。」

「いや。だって俺、期限つきで雇われてただけだもん。たまたま俺の作った薬のウケがよくて、いつのまにかまとめ役にされてたけど。」


 この会話に敏感に反応したのは、昼食の用意を始めていたマリアだった。


「ユリアス。何のことを話してるの? 組織って何?」

「別に。小遣い稼ぎの話。」

「ごまかさないで答えなさい!」


 エルレアがスウィングの方を見ると、スウィングはエルレアにだけ分かる程度に首を横に振った。

 エルレアは何事かを考えた後、マリアを見て言った。


「ご心配なく。組織とは、果物を運ぶ運送関係のギルドのことです。ユリアスは新種の農薬を開発して、その腕を買われ上役についていたらしい。」

「……農薬?」とマリア。


 ユリアスを問い詰めようとしていたマリアは、拍子抜けしたように、いからせていた肩を下ろした。


「そうです。たまたま、ユリアスが開発した農薬のかかったリンゴをスウィングが食べてしまい、思わぬ副作用があったのです。」

「副作用!?」

「はい。笑いが止まらなくなるという症状でした。あと一歩で笑い死ぬ所だったな、スウィング。」

「えっ!?あ、うん……。」


 よくそんなに次から次へと嘘の設定が浮かぶものだと感心していたスウィングは、急に話を振られても曖昧に答えることしかできなかった。


「笑いが止まらない、というのは、とても苦しい事だと聞いた事がありますが……。」


 不安げな表情でマリア。


「ええ。私たちも最初は、スウィングが笑い転げる所など滅多に見られるものじゃないと面白がって見ていたんですが、だんだん危機迫った状態になってまいりまして、ユリアスを呼んだんです。」

「あっ、ですから、ユリアスをあまりよく思ってらっしゃらないんですね。」

「お分かりになりましたか?」

「ええ……弟がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ほら、あなたも頭を下げる!」


 ユリアスの頭を押さえて自らも頭を下げたマリアに、スウィングは適当に合わせた言葉をかける。


「いえ……誰だって失敗はするものですから、このような失敗が二度となければ構いません……。」

「ありがたいお言葉です。シンフォニー様も第二皇子殿下も、広いお心をお持ちですね。」


 安堵の表情を浮かべるマリアに、スウィングは、ずっと気になって仕方なかったことを、意を決して訊こうとした。


「……あの。」

「はい。」


 マリアはスウィングをじっと見つめる。シンフォニーの隣に立つと小さく見えるマリアも、スウィングとの身長の差は余り無いらしく、わずかに頭を上に向けるだけで視線が合う。


(あれ?)


 マリアの顔を見返したスウィングは、ある事に気が付いた。


「私の顔に、何か……?」


 困ったような顔をしたマリアに、慌ててスウィングは謝る。


「失礼しました。どうして兄と一緒に宮廷を出たんですか?」


 いや、それよりもまず、どうしてこんな山奥の小屋に住む娘が皇宮の使用人になどなれたのか。

 スウィングにはそれも疑問だった。

 すると、そんなスウィングの心を読み取ったかのようにマリアは苦笑し、口を開いた。


「私は、フィデル地方のアルザス公爵家の大奥様に、知人のツテで雇われました。」

「お祖母様に?」

「お祖母様?」とエルレア。

「うん。母さんの実家がアルザスでね。兄さんはよく遊びに行ってたけど……あ。」

「ええ。そこでシンフォニー様にお会いしたんです。私は大奥様の身の回りのお世話をしていましたから、お会いする機会が何度もありまして。」

「なぁマリア姉。俺、もう地下に篭(こも)っていい?」


 ユリアスが退屈そうな声で訴えた。


「ええ。」


 銀髪の少年はマリアの横をすり抜け、台所の方へ行くとしゃがみこんだ。

 そして、床に埋め込まれた扉の取っ手を握ると力をこめて持ち上げる。

 扉の下には階段があるらしく、ユリアスは慣れた様子で床下へと消えていき、床板にもなっている扉を最後にばたりと閉じた。

 エルレアは興味深そうに見つめていたが、思い出したようにマリアの方に向き直る。

 スウィングも、その出来事で一瞬飛んでしまっていた話の内容を思い出した。


「兄は、何のために貴女を皇宮に招いたんです?」


 その問いかけに、マリアは言葉を詰まらせた。


「言えない理由ですか。」

「……私の口からは。」


 クィーゼルが面倒くさそうに舌打ちをする。


「……ったく。はっきり言やいいだろ。回りくどい質問ばっかしやがって。つまり、第一皇子があんたを連れてるのは、あんたが第一皇子の女だからか、って事だよ!」

「え……っ!? いいえ! とんでもありません! その誤解はシンフォニー様に失礼です!」


 突拍子もない事を言われた、というようなマリアの反応。


「だったらなおさら理解(わか)らねーな。どうして“あんた”なんだ? やましい理由じゃないなら答えろよ。」

「はいはい、そこまでにしてあげて下さい。黒髪の美しいお嬢さん。」

「うぉあっっ!!」


 いきなり肩に置かれた手に、クィーゼルは本気でびびっていた。


「兄さん! どこから……?」

「裏口からね。マリア。イザヤが呼んでましたよ。」

「は、はい……!」


 焦った様子で出て行くマリア。


「気配なかったぞ、さっき……。」


 青ざめたクィーゼルがつぶやく。


「あれ、兄さん。シャルルは?」

「ん? 多分今は一生懸命に考えているでしょうね。」

「何を?」

「何を選ぶべきかを。」


 笑んで返された答えに、スウィングは訝る表情を浮かべた。


「兄さんは、皇宮に帰らないの?」

「何のために私が皇宮を出たと思っているんです。別に貴方がたと鬼ごっこをしたかった訳ではありませんよ。」

「じゃあ質問を変えるよ。シャルルは兄さんを連れて帰らないの?」

「それを考えているんですよ。あの子はね。」

「今更?」とスウィング。

「ええ。今更。」


 椅子に腰をかけて、シンフォニーは机に肘をついた。


「らしくねぇな。あの姫さんが今になって迷うなんてよ。」


 腕を組んでクィーゼル。


「いいえ、当然のことですよ。あの子には、“私”への執着はほとんど無い。あるのは誇りと、在るべき姿への執着だけです。」

「はぁ?」

「つまりですね。彼女が今まで私を追っていたのは、あくまで私を自分が正しいと思う道に戻したかったからなんです。そこには、彼女の心も何もない。スウィングも気付いているでしょう。あの子は……シャルルは、己の心を殺しすぎる所がある。何が正しいか、どうあるべきかにばかり囚われて、自分の気持ちを顧(かえり)みようとしない。」


 スウィングも、その事には気付いていた。

 義務感から己の気持ちを殺し続ける彼女の生き方は、見ていて痛々しい。


 だから昔から放っておけないのだ。


「ですが、貴方を探そうと動き出したのは他でもないシャルローナです。それを何故、彼女の心から生まれた物ではないと言うんですか?」


 そう問いかけたのはエルレアだった。


「残念ながら、つい先ほど本人から聞きました。」


 シンフォニーは小さく息をつく。


「昔から自分に厳しい子ではありましたが、成長するにつれて、輪をかけて厳しくなっているようです。それでも、あの子が唯一、本心を見せる場所はあったんですよ。――貴方です、スウィング。」


 スウィングはシンフォニーの視線を真剣な顔で受け止めていた。


「貴方の傍でだけは、あの子は自然な笑顔を見せていた。」








 従妹には、強がる癖があった。



 本当は嫌な癖に、泣きたい癖に、ワガママを言いたい癖に、辛い癖に、決して表には出さないのだ。

 無理をして、どんなことでも耐える。

 その姿は立派だと思ったが、彼女は必要以上に無理や我慢をしているように思えた。



 祖母の家の領地にある森で迷った時、彼女は木の根の間に泣きそうな顔でうずくまっていた。

 名前を呼ぶと、よっぽど恐ろしい思いをしたのか彼女は自分にしがみついてきた。

 その小さな身体が震えていた事を覚えている。


 熱を出して寝込んだ時も、心配になって訪ねてみれば思った通り強がって、一人で苦しんでいた。

 彼女は、ごく普通の女の子だ。

 人より強い訳でも丈夫な訳でもない。

 だから彼女が強がらなくてもいいように、周りが気をつけなければいけないのだ。

 せめて彼女の悪い癖に気付いた自分は、できるだけ彼女を支えてあげなければと思った。

 気付いていた。

 彼女が自分の前でだけ浮かべる笑顔に。

 けれど、それはきっと『特別』という意味ではないとスウィングは思った。


 元々あれが、彼女の本来の笑顔であって、他の人間の言動や雰囲気が、それを封じてしまっているだけなのだ。

 だから、もし誰かが自分のように彼女の癖を見抜けば、そしてその誰かが、彼女の苦しみや辛さに気付いて癒すことができれば、彼女はその誰かの前でもきっと本来の自分を解放するようになる。


 沢山の人が、気付いてくれればいい。


 彼女の弱さに。

 そしてそれすらも、愛してほしいと思う。


 それは、スウィングがずっと願い続けている事だった。








 皇宮の高い窓から見える中庭。

 弟皇子と語り合う美しい少女の顔には、それまで見た事もない歳相応の無邪気な笑みが浮かんでいた。

 その人並みはずれた美しさのせいで、人形のような印象を受ける彼女が、スウィングと話す時だけはただの少女に見えた。


 あれが本当の彼女だ。

 自分には遠すぎて手が届かない場所だったけれど。



 シンフォニーは机の上で組んだ指に視線を落とした。


「彼女の笑顔が完全に消えてしまったのは、私との婚約が決まった時でした。それからあの子は、スウィングと会う機会すら持とうとしなくなった。」


――いいえ。


 凛とした響きのある声。彼女は知っていただろうか。


――いいえ、“シンフォニー様”。これはスウィングには関係のない事。“シンフォニー様”だけ知ってらして。


 そんな言葉を口にする時、彼女の瞳には隠しきれない悲しさや淋しさが浮かんでいた事に。

 痛々しいほどの気高さで、彼女は理想の皇族を演じ始めたのだ。

 それは、これからの一生を一片の陰りもない光の中で生きていくという彼女の覚悟だった。

 自分の一生を国に捧げるという誓いと同じ意味である。


「私は彼女を解放したかったんです。」


 光から、そして何よりも彼女自身の誇りから。


「スウィング。シャルローナを連れて帰りなさい。彼女のためにも、国のためにも、貴方のためにも、それが最善です。彼女を手元に置いておけば、すべてが上手くいくでしょう。」


 その言葉に、スウィングは眉をひそめる。

 そのスウィングを見て、シンフォニーはため息をついた。


「やれやれ、貴方もその反応ですか。どうして私は人に信用されないんでしょう。」

「まずその聖人ぶる癖をどうにかしたほうがいいと思いますわ。」


 音も無く小屋に戻ってきた赤い髪の少女が、不機嫌そうな表情でシンフォニーを見た。


「シャルル……聞いていたのか?」


 エルレアの言葉に、


「ええ! シンフォニー様がスウィングに私を連れて帰れとおっしゃっていたわね。私が引きそうにないから、周りから攻めるおつもりだったのかしら。お生憎ですわね!」


とシャルローナは答えた。


「その前の話は?」

「その前? 何のことですの?」


 シャルローナの様子に、その部屋に居た人間全員が胸をなでおろす。

 シャルローナがスウィングをウンヌン…のくだりは、幸いにもシャルローナの耳には届いていなかったらしい。


「そんな事よりもスウィング。貴方に頼みたい事があるのだけれど、よろしくて?」

「頼みたい事?」とスウィング。

「ええ。私、決めましたわ。」


 シャルローナは一度瞼(まぶた)を伏せ、再び開くと部屋に居る人間の顔を順々に見た後、シンフォニーをまっすぐに見た。

 射抜くように。


「シンフォニー様とスウィングに、手合わせをしていただきたいのです。」

「手合わせ!?」

 クィーゼルがすっとんきょうな声をあげる。


「手合わせというと……やはり剣か?」

「そうよ。」


 エルレアの問いかけに、シャルローナは短く答える。


「スウィングが勝てば、私はシンフォニー様を力ずくでも連れて帰ります。シンフォニー様が勝てば……私はおとなしく帰りますわ。」








「シンフォニー様……。」


 マリアが不安そうな顔をしてシンフォニーの傍に歩み寄る。

 それも当然だ。

 力の差が歴然としすぎている。

 幼い頃に剣の才を見出され、一流の剣術教育を受けて育った第二皇子スウィング。

 幼い頃から、歴史や文学に造詣(ぞうけい)が深く、剣を握ったことすらなかった第一皇子シンフォニー。

 二人が剣で戦えば、どちらが勝つかなど誰が考えても明らかだった。


「受けてくださいますわね。お二人共。」

「いいですよ。」


 何と、即答したのはシンフォニーの方だった。


「それで貴女が納得してくださるなら、私は受けます。」

「兄さん……!?」


 スウィングまでもが、動揺した瞳で兄を見る。


「まさか、私相手にためらう剣の腕ではないでしょう、スウィング。私と違って、貴方は剣術の指南を受けてきた。」

「それは……。」


 言葉を濁すスウィングの隣で、エルレアはシンフォニーの顔を見つめた。


(何故。)


 何故この状況で、微笑みを浮かべていられる。

 大変な条件をつきつけられた。そのはずだ。

 恐らくスウィングも同じ事を考え、戸惑っている。

 シャルローナとて、シンフォニーのこの反応には驚きを隠せない。

 スウィングはふ、と短い息をつくと、難しい表情をしたまま答えた。


「……分かったよ。」

「では、明日の朝にでも。私は今すぐでも構いませんが、スウィングは疲れているでしょう。」


 日が沈めば、決闘は難しくなる。確かに万全を期すには、明日の朝が適当だった。

 しかし。


「いや、今すぐでいいよ、兄さん。僕の疲れは、兄さんへのハンデだ。」


 シンフォニーはスウィングを見返したが、その鮮やかな青の瞳に確固たる意志を認め、


「頼もしいことです。」


 と、再び笑った。


 それは、からかいの笑みでも挑戦的な笑みでも、いつも浮かべている謎の微笑みでもなく、純粋に弟の成長を喜ぶような笑顔だった。





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