ノスタルジア〜紫の刻印〜



第九章 疑惑




 日の入りの時刻まで、そんなに長くはなかった。

 だが、決闘には短くない時間だ。

 早ければ一瞬でカタがつく。

 小屋の近くにあるひらけた場所――先ほど、シンフォニーとシャルローナが話をしていた場所である。――で、二人の皇子は対峙(たいじ)する。



 似テ非ナルモノ。



 その表現が一番似合う光景だった。

 シンフォニーとスウィング。

 その容姿に確かに共通する面差しや特徴を備えているにも関わらず、二人は対称的だった。


 ダークブラウンの髪を持つシンフォニーの瞳の色は、月夜の海の紺。

 蜜のように輝く金色の髪を持つスウィングの瞳の色は、真昼の海の青。


 光と闇、昼と夜。

 間逆でありながら、離れることができないそれらとよく似ていた。


 その二人を見守るのは、シャルローナとエルレア、ニリウス、クィーゼル、セレン、そしてマリアの六人である。

 小屋に居た人間のうち、ユリアスだけは地下室に篭ったきりだ。

 マリアの話によると、彼は地下で勉強や研究に没頭するのが好きで、たまに食べ物をつまみに来る時以外、滅多に外に出ないらしい。


「双方、剣を。」


 シャルローナが合図を出すと、ふたりが剣を出して構える。

 殺し合いが目的ではないから、剣と言っても丈夫な木で作られた物だ。


「……――?」


 スウィングはある不思議な事に気付いた。


「一本勝負、始め!」


 シャルローナの声と同時に、カンカン、という音が響いた。

 スウィングの素早い一閃を受け止めた状態で、シンフォニーはスウィングに囁くようにして尋ねた。


「貴方は何を得たいんですか?」

「……?」

「私に勝って、何を手に入れたいんですか? 何も得られないでしょう。あの娘以外には。」


 あの娘というのがエルレアを示しているらしいというのがスウィングには分かった。


「不幸な事故を装って、わざと私に負けておしまいなさい。そうすれば、貴方はこの国の皇帝になれるし、シャルルも手に入れられる。あの娘にこだわる理由などないでしょう。」


 直後、スウィングがシンフォニーの剣をはじいて、また新たに重い一閃を放った。


 シンフォニーはギリギリでこれを防ぐ。


「本気で言ってるの? 兄さん。」

「スウィング。」


 シンフォニーの視線が、たしなめるようなものに変わる。


「いきなり感情的になりましたね。悪いことは言わない。父上のご意志であれ何であれ、グリーシュになど関わるべきではありません。それとも……あの娘にこだわる理由があるんですか?」


 シンフォニーの言葉が、スウィングの心の触れられたくない領域までかき乱す。


 エルレアは、想い続けてきた“エルレア”とは違う。


 なら、いまさら彼女にこだわる理由なんて無いじゃないか。

 そうは思うのに、スウィングはシンフォニーの提案を受け入れられずに居た。


 何故なのか、自分でも分からない。

 そもそも、二人から一人を選ぶという事自体がおこがましい気がしてならないのだ。

 だから、今まで深くは考えないようにしてきた。


 シャルローナとの婚約が嫌な訳じゃない。

 しっかりしていて、けれど弱い部分も繊細な所もある彼女は、十分魅力的な女性だと思う。


 けれどだから結婚したいかと言うと、そうではないのだ。


 小さい頃から傍に居すぎたせいか、シャルローナに対する時の感覚は身内に対するそれに限りなく近い。


 エルレアは……そもそも彼女自身は、どう考えているのだろう。

 もしも自分の妃になれば、彼女はこの先ずっと自分の傍で過ごさなければいけない。

 彼女はそれでいいのだろうか。


「皇帝陛下が決められた事なら従おう」と、表情一つ動かさずに言い捨ててしまうのだろうか。


 容易に想像できた彼女の姿に、ズキリと心が痛んだ。


「どうしました? スウィング。剣が軽くなってきていますよ。」


 スウィングの剣を押し返しながら、シンフォニーは続けた。


「人に言われて揺らぐ程度の心など、捨ててしまいなさい。」

「違う!!」


 声を荒げた事を後悔するように、スウィングはシンフォニーから視線を外した。

 その隙をついて、シンフォニーは攻めに転じる。


「終わりです。」


 鋭い一撃が、スウィングに迫った。


「そこまで!!」 


 シャルローナの声に、二人は制止する。


「どっちが勝ったんだ……?」


 シンフォニーはスウィングの肩に、スウィングはシンフォニーの左腕に剣を当てている―――ように見えた。


「……っ!!」

「スウィング!!」


 肩を押さえて崩れ落ちるスウィングに、エルレアが駆け寄る。

 先に仕掛けたのはシンフォニー。遅れて仕掛けたのがスウィングだった。

 スウィングの剣は、確かにシンフォニーの剣より速く閃いたが、シンフォニーの腕には届かなかった。


「剣圧だけで衣を裂くとは……さすがです。」


 裂けた左腕の部分を見て、シンフォニーはつぶやいた。


「兄さん……。」

「はい?」


 スウィングは立ち上がるとシンフォニーを見つめた。


「兄さんはいつから、右利きになったの?」

「え?」とクィーゼル。

「ナイフを持つ手も、文字を書く手も、兄さんが使うのは左。右手は使いにくいって言ってなかった?」


 真剣な表情のスウィングに、いつもの笑みを向けて


「内緒です。」


と、シンフォニーは答えた。


「じゃあ質問を変えるよ。兄さんは誰から剣を習ったの?」

「誰にも? いつもスウィングの剣技を見ていましたから、見様見真似ですよ。」


 その言葉に、スウィングの顔は険しくなる。


「嘘だ。」

「本当ですよ。なんですか、その怖い顔は。」


 スウィングは視線を落として、ゆっくり言った。


「兄さんの剣の型は、僕の剣の型にも似てるけど、違う。兄さんの型は、今存在する剣術の大本(おおもと)になった、古代剣術の型だ。」

「だから? 何が言いたいんですか?」


 シンフォニーの声色が少し変わったことに、エルレアは気付いた。


「専門に扱う人間自体少ない古代剣術を、どうして兄さんは使いこなしてるんだ。」

「ええーと……つまりだ。」


 この展開についていけなかったクィーゼルが、状況を整理する。


「第一皇子様ってのは、元々左利きのはずなのに、右手で剣を使ってた。しかも、大昔の剣術を使ってたって事か?」

「そうね……シンフォニー様は左利きよ。剣術のことは詳しくは知らないけど……スウィングが言うならそうなんでしょ。」


 スウィングはシンフォニーに何かを問いかけようとしてやめた。

 しかし、気持ちを整理するように大きく息をつくと、シンフォニーを見据えて言った。


「兄さん。貴方は誰ですか?」

「おいおい、話が飛びすぎなんじゃねーか?」とクィーゼル。


 シンフォニーは笑みを消してスウィングを見た。


「さて。誰、と言われましてもね。偽物じゃないことは確かですよ。」


 その時、強い風が辺りを駆け抜けた。

 シンフォニーが、顔にかかった髪を左手で払う。

 その時、スウィングが裂いた左腕の服の生地の間から、不可思議な紫の文様が覗いた。


「あれ、刺青か……?」

「生まれた時からあるとシンフォニー様は仰っていたわ……前に見た時は、あんなにはっきりした模様じゃなかった気がするけど……」


 そんなやりとりをするクィーゼルとシャルローナの隣で、ニリウスが動いた。


 シンフォニーに近づくと、その左腕を掴む。


 シンフォニーは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「やれやれ……今度は何ですか?」


 ニリウスは危機迫った雰囲気でシンフォニーを見る。


 震える手。その瞳に宿るのは、怒りにも似た激しい感情。

 長い沈黙の後、ニリウスはうめくように声を出した。


「何でこれが、あんたの腕に……? 何で“エルレア”と同じアザがあるんだ!?」

「言葉には気をつけなさい。」


 ニリウスの手を振り払うと、シンフォニーは冷たさを感じさせる声音で、


「貴方の発言は、下手をすれば自分の命を危うくさせますよ」と言った。


 そして、スウィングの方に視線を戻す。


「何故右手で。誰に剣術を、貴方は誰、そして、何故このアザが。知りたいなら話してあげましょう。とにかく……。」


 シンフォニーは、シャルローナの方を見た。


「勝負は私の勝ちです。約束は守ってくださいますね?」


 シャルローナは悔しげに唇を噛んだが、


「……ええ。二言はありませんわ。」と答えた。


 シンフォニーは、説明を求めるような視線を送ってくる者たちを順に見て、口を開く。


「夕食後、ゆっくりお話します。信じるかどうかは、貴方がたの自由ですが。それに……こちらからお聞きしたい事もあります。」



 シンフォニーの視線が傍らのニリウスを捉え、敵を見るような鋭さを帯びた。





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