ノスタルジア〜その名を継ぐ者〜



第七章 懺悔の花びら



“エルレア・ド・グリーシュ”


 実在した、セレンの本当の姉。


 スウィングとの婚約が決定していた少女。

 その少女の死。そしてその空白を埋めるためにもらわれてきた自分。


 グリーシュの血を継ぐ娘だと周りに思い込ませて。


 だとすると皇帝が自分を宴に招待した理由は、最終確認だったのだろうか。

 第二皇子―――スウィングの妃として迎える娘を見ておこうと思ったのか。

 しかし、第一皇子が失踪した後皇帝が下した決断は……?


 第一皇子シンフォニーが戻らなければ、シンフォニーの婚約者であるシャルローナを第二皇子スウィングの婚約者とする。それは、まとまっていたと言うグリーシュとの婚約話を破棄するという事だろう。


(一体何を考えている……?)


 得体の知れない不安に襲われる。

 皇帝は、底が見えない所がある。


 目の前の第二皇子(スウィング)は、何か知っているのだろうか。


 金髪の少女は十字架の前に膝をついたままの少年を見た。


(泣いて、いるのだろうか。)


 必死で探してきた者が。


“何故”。


「“エルレア”は……病気か事故で……?」

「違う。」


 スウィングの問いかけに、ニリウスが短く答えた。


「クィーゼル。俺……お前にずっと言えなかった事があるんだ……。」



 今まで見た事も無いほど、真剣で、どこか寂しげなニリウスの声だった。



☆     ☆     ☆




「クィーゼル。俺……お前にずっと言えなかった事があるんだ……。」


 三人がそれぞれ戸惑った表情で自分を見ている。


『クィーゼルには、絶対言っちゃダメだよ。』


 すまねぇ。


 でも言わねえと俺が……苦しいんだ。



 どうか。



「“エルレア”は……あいつは……俺が、殺した。」



 どうか、裁きを。




「……な、んだって……。」


 クィーゼルは、ニリウスを大きく見開いた黒い瞳で見つめる。


「今、何て言ったんだよ……?」

「俺が殺したんだ、この手で!!」


 いつものニリウスからは想像もできない吐き捨てるような口調で、悲痛な声で。


「嘘だ。」

「嘘じゃねぇ。」


 三人は自分の耳を疑った。

 誰もが信じられない事だった。


 ニリウス・ジャグラムが、“エルレア・ド・グリーシュ”を殺したなど。


「どうして……そんな事を。」


 スウィングが立ち上がって呟くように言った。

 その瞳には、困惑の色。

 ニリウスは視線を落として答える。


「あいつが、殺してくれって……言ったんだよ。」


 一つの影がスウィングの横を風を起こしてすり抜けた、その直後。

 心臓に響くような鈍い低い音がした。

 拳を作ったクィーゼルの腕は激しく震え、それを受けたニリウスの口の端からは血が出ていた。

 それでも何とか立っているニリウスの胸元を、更にクィーゼルは掴む。


「だから殺したってのかよ? だから……っ。」

「それがあいつの望みだったんだ。」


 涙の浮いたクィーゼルの瞳が、間近から自分を睨む。

 どんな怒りも憎しみも受け止めよう、とニリウスは思った。

 今まで許されてきたものの分だけ、苦しみも痛みも受けよう。



「………の、クズがぁぁぁぁあ!!」



 裁きを。



 山の木々がざわざわと鳴る程の強い空気の流れが、二人を包む。

 二度目の拳を覚悟して目を閉じたニリウスの頬に、冷たく柔らかい何かがそっと触れる。


 驚いて、ゆっくりと目を開ける。



 ひらひらと堕ちていく黄色い花びら。


 寸止めされた拳。

 歯を食いしばったままのクィーゼルの顔。


「……何で……。」


“クズなんかじゃないよ。”


 クィーゼルは力無く地面に膝を着くと、地面に向かって拳を叩きつけた。


「何でこんな奴かばうんだよ!! こんな、最低な人間を……!」


 いつかの“エルレア”の言葉が、時を越えて再びクィーゼルを制していた。


「最初から、話すよ……。」


 痛みを堪えるような顔をした後、ニリウスはゆっくりと話しだした。



☆     ☆




「用って何だ?」


 エルレアが昼までで帰ってしまったその日の夕方、エルレアから突然クィーゼルに内緒で呼び出され、ニリウスは本邸にある彼女の部屋に向かった。

 天蓋付きの大きなベッドと、金の縁取りがなされた優雅な鏡台。

 扉の向かい側にあるバルコニーに続く大きな窓から見えるのは、幻想的とも言える空の芸術。

 薄紫から金への雲の色の変化、落ちる太陽。


「うん。ニリってさ、いっつも勝負でクィーゼルに負けてばかりでしょ? だから、今日は特別に僕の剣を教えてあげようかなって思って。はい。」


 はい、と手渡された剣は、ずしりと重かった。


「これって、本物の剣じゃねぇか?」


 鈍い光を放つ刀身。

 試しに刃に指を当ててなぞってみると、鋭い痛みと共に血が滲んで来たのでニリウスは慌てた。

 しかしそれを渡した当の本人は、飄々と


「そうだよ。」


と答えた。


「そうだよって……危ねえよ、こんなの使うと。」

「いいんだ。今日が最後だから。クィーゼルには言っちゃダメだよ。」


 少女の言葉に引っかかりを覚える。

「最後?」

「君にしか頼めないんだ。僕を……殺してくれる?」

「え……?」

「そうしなきゃ、僕はセレンを殺さなきゃいけなくなる……。」


 そう言って、哀しげに微笑(わら)った。



 ただ、ただ。



 悪い冗談だと思った。



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