「これは、将来グリーシュの家督を継ぐ人の印なんだって。」
あいつは、その不思議なアザを見せてくれた。
今でもはっきりと覚えている、刻印のような模様。
「生まれた時には無くて、いつ現れるのかも分からないんだけど、これが現れた人は、生きる権利を与えられた人間なんだって、母様が言ってた。“狩人(かりうど)”に選ばれたんだって。」
「何だ? “狩人”って。」
「“贄(にえ)”を捧げ罪を負う者。この印は、“狩人”と“贄”が決定された時に現れるらしいんだ。そして、次の満月までに“儀式”を行わなきゃいけない。」
「に、にえ? ぎしき?」
自分には難しい言葉ばかりだった。
「“儀式”は“贄”を殺す事。“贄”は“狩人”の兄弟姉妹全て。僕にとっての……セレン。」
セレン。エルレアの弟。何度かエルレアと一緒に居る所を見た事があるが、誰に似たのか顔を覗き込むと嬉しそうに微笑む癖があった。まだやっと危なっかしい足取りで走れるようになったばかりのはずだ。
「“狩人”に兄弟が居ない時は、前“狩人”の親が“贄”になる。結局……一代に一人は“贄”を捧げなければいけないんだ、グリーシュは。」
「何でだよ……何でそんなひでぇ事しなきゃいけねぇんだ!」
「それがグリーシュ(ぼくたち)の存在意義だから。時間がない、よく聞いて、ニリ。」
「嫌だよ分かんねぇよ俺バカだから!! それでどうして平気でいられんだ!? どうして俺がお前を……っ!!」
「僕にこのアザが現れるのが遅かったんだ。今朝見つかって……満月は今日。もし僕が“贄”のセレンを殺さなくても、母様が代わりに儀式をすると思う。でも、“贄”を助ける方法が一つだけあるんだ。」
――― “狩人”が“贄”となれば、“贄”一人が助かる。
――― ただしそれは、天の定めた選択に違(たが)うことになるが。
「構えて。……そう。」
剣先が激しく震えている。
この剣から、今すぐ手を離す事ができるなら。
エルレアはニリウスの前に立った。
剣先を胸元に。
「怖がらないで。ここだけを狙えばいいから。」
左胸に手を当て、また笑った。
その頬を涙が伝い、剣の切っ先に落ちてはじける。
ニリウスは構えていた剣をおろし、下を向いてしゃくりあげた。
「俺……やっぱ嫌だ……っ。」
エルレアはニリウスの手を取って言った。
「僕はずるい……一人で死ぬのが、凄く怖いんだ。だから君を頼ろうとしている。卑怯だって、十分分かってるつもり……でも、それでも僕は、セレンを殺したくない。……死ぬのは怖いけど、ニリ……君が僕を殺してくれるなら、僕は逃げない。」
「お前は……自分の事はどうだっていいって思ってんのか!? 誰も悲しまないとか思ってんのか!?」
怒りを帯びたニリウスの言葉に、少女は静かに首を横に振った。
「そうじゃない。昼間、母様から“狩人”と“贄”の話を聞かされて……僕が生きてきた十年に、どれだけの価値があるんだろうって、ずっと考えてた。僕の命とセレンの命。秤(はかり)にかけたらどっちに傾くのかって……結局分からなくて、僕はどうしたいんだろうって考えた。……答えはもう出ていたんだ。僕はセレンを助けたい。セレンに生きていてほしい。僕の命なんて関係ないんだ。」
「俺はお前が居なくなるのが一番嫌だ!!」
少女は驚いた顔をしたが、優しく目元を緩めた。
「……ありがとう。僕は幸せだったね、ニリ……君とクィーゼルに会えて、本当に良かった……。」
エルレア。
俺達は、お前の為に何ができたんだろう。
陽の光が弱まった。
夕日がついに、世界から消えようとしているのだ。
夜になれば、“儀式”が行われる。
「さ、早く、ニリ。間に合わなくなる前に!」
「………。」
「ニリ。お願い!!」
この世の全ての物が、時を止めたように変に静かだった。
自分の鼓動の音だけが聞こえる白い空間で、構えなおした重い剣だけが唯一存在感を保っていた。
狙いを定めた自分は、そのまま駆けた。
嫌な感触が手のひらに伝わり、生ぬるい液体が自分の顔や手に飛び散る。
急速に現実に引き戻されていく自分を、ふんわりと優しいぬくもりが包んだ。
手には再び、押されるような抵抗。
「エルレア……?」
剣は一寸の狂いも無く少女の胸を貫いていた。
少女の身体を貫き、赤く染まっている刀身。
抱きしめられた腕から、力が抜けていくのを感じる。
「エルレア、エルレア……!! ごめん……っ、ごめん……っ!!」
崩れるように床に座り込んで、ニリウスは涙をこぼした。
「……ぅして?」
『どうして?』
震える手をニリウスの頭に伸ばし、少女はその茶色の髪を撫でる。
やがてその手が空しく落ちるのを、その顔から笑みが失われるのを、ニリウスは見ている事しかできなかった。
明日、三人で花を摘みに行こう。
次の春も、また次の春も、きっとそんな風に過ごせると。
何の疑いもなしに信じ込んでいた。
自分が……この手で。
「うわぁぁぁぁぁ―――!!」
ニリウスは動かなくなった少女の身体を抱きしめて、大声を上げて泣いた。
声が枯れてしまうまで泣き続けた。
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