ノスタルジア〜宴の夜〜



第十章 少女は求める




 二階の部屋を一つ一つ開けて回っていた時、スウィングは、何故か鍵がドアの鍵穴に差し込まれたままの部屋を見つけた。


(なんで、ここだけ?)


 いつでも斬りかかれるように剣に手をかけ、慎重にドアを開けると、そこは窓も無い小さな部屋だった。

 ただ部屋の片隅に置かれた蝋燭が、部屋の中をボウッと頼りない光で照らしている。

 初めに気付いたのは、何かの薬の匂い。

 暗さに目が慣れていくにつれ、部屋の中にいる人物がぼんやりと見えてくる。


 闇の中に浮かび上がるような白い肌。

 その肌に映える緑色のドレス。

 流れる光のような髪。

 そして、印象的な深い緑色の瞳。


 彼女は、大きく目を見開いてスウィングを見返していた。


「……エルレア。」


 かけよって、抱きしめた。


「スウィング……?」


 エルレアの声には、明らかに動揺が混じっている。


「よかった……無事だったんだ。」


「すまない……私のせいだ。」

「何が……?」


 スウィングはエルレアから身体を離し、その顔を覗き込んだ。


「貴方を危険な目に遭わせたくはなかった。……なのに。」


 エルレアの表情から、はっきりとした感情が読み取れることにスウィングは少し驚く。

 自制心や理性でも隠しきれないほどの罪悪感を抱いているのだろうか。

 スウィングはエルレアの頬に手を当てた。


「もし君が僕の立場だったならどうしていた?同じ事をしただろう。きっと僕を探す。そして同じようにここに連れて来られていた。でも少なくとも僕は、それを後悔なんかしないよ。」


(二度と逢えなくなるのが一番嫌だから―――。)


「だから、気にしなくていいんだ。それより頭とか痛くない?」

「起きた時は頭痛がひどかったが……大分引いた。」

「他は?」

「いや、何ともない。」

「そう。……エルレア。」

「なんだ?」


 スウィングの瞳が、真剣な光を帯びる。


「もう少し、ここで待ってて。すぐ戻ってくるから。」

「何故。」

「元凶を叩く。じゃないと、僕達が逃げ出せても同じようなことが何度だって起こる。オルヴェルとセインティア間の人身売買……もちろん、この組織を壊せば全て解決するなんて思ってないよ。それでも見逃せない。エルレアはここに居たほうが安全だ。いいね。」


 スウィングはスッ、と立ち上がると部屋から出て行こうとした。


「スウィング。必ず、か?」


 戻ってくるのは。


 スウィングがどこか遠くに行ってしまいそうな嫌な予感がして、エルレアは焦るように言った。


「僕が戻らなければ、赤いバンダナをした黒い髪の男が来るよ。大丈夫。良い奴だから、信用して。」

「スウィング!」


 バタン、とドアが閉められる。

 エルレアは目を伏せ、手を握りしめて震えた。


 堪えきれない悔しさで。

 その手の甲に落ちた雫にも気付かずに。


「力が……欲しい……!誰にも守ってもらわずに生きてゆける力が……!!」


 そして願わくば。


(誰かを守れる力が。)


 生まれるはずのない風が、部屋の中に静かに吹き出した。

 緑色のドレスを着た少女を中心に螺旋を描いて舞い上がる、その風は。

 春風のように暖かく、それでいて強い風だった。





☆彼の正義☆






 ふっ、と体格の良い男が笑った。

 唐突なその笑いに、部屋の奥に座っていたもう一人の男が不思議そうな顔をする。


「何だ。」

「どうやら、猫が逃げ出したようだな。あんたは机の下にでも隠れときな。」


 男がソファーから立ち上がるのと部屋の扉が開いたのは、ほぼ同時だった。

 その扉の向こうに立っていた人物を見て、男は面倒そうに頭をかく。


「こりゃ“上(じょう)”の商品じゃねえか。並なら本気でいくのによぉ。」


 スウィングは黙って男を睨んでいた。

 玲瓏たる青の瞳で。


「おおこわ。そんな顔すんなって。買い手がびびるだろ。」


 男が抜刀の体勢をとると、スウィングも剣の柄を握った。


「傷が残らねぇようにしねえとな。値切られたらたまんねぇぜ。……こいや、坊主。」


 スウィングはためらいなく男の間合いへ駆ける。


 一撃。


 スウィングの上腕にはかすり傷がつけられ、血がにじんだ。


 男は「ぐぅっ…」と言って地面に手を着いた。


 スウィングは冷たい表情で男を見る。


「捕らえた人間を全員解放して自首すると誓えば見逃してやる。もし、しないのであれば。」


 刃を反して、スウィングは続けた。


「次は本気で行く。」

「ふふ……本気か……。」


 男はふらりと立ち上がり、壁にかけてあった剣を取った。


「俺も本気でやってやるよ。」

「二刀流……。」

「どうも一本じゃ足りないんでね……覚悟しな。」


 男がスウィングに斬りかかったのを皮切り、金属同士のぶつかる音が響き始めた。

 一本の刃を払っても、もう一本の刃が迫る。

 長身のためか、一撃の威力も大きい。


「ほらほらどうした! そんな細い腕じゃ満足に剣一本も使えねえのか!?」


(強い……でも。)


 勝てる。


 この男は踏み込みが甘い。


 特に。


(左足!)


 型が崩れるその一瞬を狙って、スウィングは一本の剣の攻撃をやりすごして、相手の胴から肩へ峰に手を当てて斬り上げた。

 血飛沫があがり、スウィングの服も赤く染まる。


 しかし男は剣を床に突き刺し体勢を戻すと、スウィングを見て、血の流れる口でニヤリと笑った。


「まだだ……。」


 スウィングは剣を正眼に構える。

 狙うは肩口。

 どちらかの腕を使い物にならなくしさえすれば、二刀流は使えなくなる。

 先ほどの攻撃で、スピードは落ちているはず。


 相手の技が発生する前に、間合いに侵入して―――。


「!?」


(何だ……!?)


 スウィングは崩れるように膝をついた。

 手からこぼれた剣が、硬質な音を響かせる。


「……っ!」


 体中に、内側からガラスで切りつけられているような耐えがたい痛みが走る。


「ひっひ……ようやく効いてきたらしいな。」

「……?」

「あのガキ、腕だけは確かだな。使えるぜ、この薬。……いや、毒か?」


 男は愉快そうに笑う。

 スウィングは、激しい痛みから逃れようとして薄らいでいく意識を必死で現実に繋ぎとめていた。

「何が何だか分かんねぇだろう、坊主。毒が塗られてたんだよ。俺の剣にはな。」


 毒……?


 床に倒れて痛みに耐えるスウィングを真上から見下ろして、男は笑いながら言った。


「どんなに毒に耐性のある奴でも少量で一ころの、毒性のかなり強い薬だ。あの銀髪のガキに作らせたんだよ。しかも刃に塗っておけば、直接傷口から血管へ侵入して、たちまち全身に巡る。その後、内側から細胞を破壊していくんだ。……心臓が止まるまでな。」


 一体いつどこを、自分はこの男に斬られたのだろう?

 スウィングは記憶を辿った。


(腕……!!)


 ただのかすり傷だと思っていた。


「普通の奴なら、すぐ効き目が現れるらしいんだが、さすが耐性を持ってるだけあるな。手間どっちまったぜ。」


 男は口元の血を手の甲でぬぐうと、聴覚も危うくなってきているかもしれないスウィングの耳元に囁いた。


「お前の選ぶ道は二つある。解毒薬を飲んで大人しく商品になるか、死んで商品になるかだ。選ばせてやるぜ。俺にこれだけの怪我を負わせた褒美だ。」


 …生を。死を。


 ここまで意識した事はなかった。

 望めばどちらもたやすく得られる……。

『貴方にもしものことがあったら、一体誰が次の皇帝になるというの!?』


 そう言った従妹は、皇族の中でも非常に優秀だった。

 兄や自分が努力して手に入れたものを、従妹は生まれた時から持っていた。

 民の命を背負う責任感。

 それに負けない気高さも強さも、全てその身に与えられて生まれてきた。


『……スウィング。』


 エルレアの声が聞こえた。


『必ず、か?』


 どこか祈るような瞳だった。


(エルレア……もしかして君は知っていたのかな…。)


 こうなることを。

 緑(そ)の瞳で未来までも見ていたのか。


(一度でいいから…笑った顔が見たかったけど。)

 どうやらそれは叶いそうにない。


『なあ、俺とずっと組みたいとか思わない? スウィング。』

 既に成人しているだろうに、ミヅキは少年めいた表情をする。


(足手まといにはならないよ……ミヅキ。)


 スウィングは、冷笑して男を見上げた。


「君が、損をする方を。」


 意識は、限界をとうに越えている。

 目を閉じると、痛みが幾分和らいでいくような気がした。


「いいぜ。望み通りにしてやる。すぐ楽にしてやるよ。」


 心臓を、突いてな。

 男の声が遠くの方で聞こえたすぐ後、扉の方から柔らかな風が吹いてくるのを感じた。


(あの時と同じ……風。)


 列車の中で自分を包んだ、春風のような優しさの風。


「な、なんだ、お前……!」


 男の動転した声に薄く瞼を開くと、霞む視界に鮮やかな水色の閃光の映像が飛び込んだ。


(ミヅキ……じゃない……何だろう……懐かしい気がする……。)


 スウィングは再び目を閉じた。

 それ以上、目を開けておく力が無かったと言った方が正しい。


 誰かの指が、自分の頬に触れた。


「大丈夫……僕が居るから、安心してゆっくり眠っていいよ、スウィング。」


 癒すように、護るように。


 囁かれた言葉が、スウィングを深い昏(ねむ)りへと誘(いざな)った。









 屋敷の門から、赤いバンダナをした男が走り出てきた。

 門の陰から現れ、その男の首にすかさずナイフを突きつけた美少女。


「聞きたいことがあります。答えてくれるかしら?」

「あっぶねえなぁ。とりあえずしまいなよそれ。こっちも聞きたい事あんだし。」

「こちらが先ですわ。まず、貴方は何?」


 ナイフを手元に戻して、シャルローナ。


「それはこっちの台詞。さっきから俺をずっと見てたでしょ。あんた、俺の敵?」

「は?」


 確かに様子を見ていたが。

 シャルローナの後ろで、ニリウスとクィーゼルが“何だこいつ?”と言う顔をする。

 道に転がっていた男から、人身売買の話を聞きだし、屋敷の場所を吐かせた。

 その屋敷に着いた時、庭で何十人もの男達を相手に啖呵(たんか)をきる人間が居れば、誰でも怪しがるだろう。


「あのさぁ……敵か敵じゃないか早く言ってくれないと困るんだよね、俺スウィング待たせてっから。」


「「「スウィング!?」」」


 三人が口を揃えて聞き返すので、男は目をぱちくりさせた。


「え、何々、知り合いに同じ名前の奴いんの?」


(第二皇子殿下の名前だっつーの!)

 クィーゼルは心の中で突っ込んだ。


「スウィングを知っているの!?」とシャルローナ。

「この屋敷に居るはずなんだけどな。」とニリウス。

「黒い髪で青い目の奴か!?」とクィーゼル。



「お、おう。」


 三人の気迫に圧されて、バンダナの男。


「シャルローナ! クィーゼル! ニリウス!」


 屋敷からの声に四人が目を向けると、金の髪の少女が緑色のドレスを風に舞わせながら、玄関の前に立っていた。


「スウィングが……!!」


 呼ばれていないバンダナ男までもが、この声に反応して屋敷の方に走り出した。






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