ノスタルジア〜宴の夜〜
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第七章 空の面影 |
いつか誰かが言っていた。
―――人は、この世に生まれ落ちた瞬間から、魂の片割れを探している。分かりますか、スウィング? 人は生まれながらにして完全ではないんです。
―――それは、人間は誰か他の人が居ないと生きていけないってこと?
―――いいえ、そんな単純なことではありません。魂の片割れとは、或いは友人で、或いは恋人で、また或いは親か兄弟。好敵手(ライバル)ということもありうるでしょう。どんな関係にあるかは、人によって異なりますが…そうですね。ひときわ「特別」な存在だとでも言いましょうか。感じるんですよ、ふとした瞬間に。
―――運命とかの話?
―――いえいえ、誤解しないで下さい。私はそんなものは信じませんよ。ですが…この世界で一体どれだけの人が、魂の片割れに出会うことができるんでしょうね。
―――会えなかったら、どうなるの?
―――別に、どうもなりません。ただ、出会えたら『ラッキー』。それだけのことです。でも、もしかしたらスウィング、貴方はもう出会っているかもしれない。明日出会うかもしれない。時間など関係ないんですよ、そういうものは。
―――どうやったら分かるの?
その人は、ふ、と笑みを浮かべて言った。
―――世界の色が変わるんです。革命的にね。
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☆少年と少女☆ |
金の色で思い出すのは、涼やかな風と草の匂い。
父が訪ねた、貴族の領地の広い草原で。
そうあれは、春。
世界に光が溢れ、命の息吹が大地を支配していた、八歳の春。
「うーん…もう少し左かなぁ…。」
練習用の木剣で、昨日習った構えを復習する。
当時、父親の傍にいる事が多かったので、父親が他の大人達と難しい話をする時、スウィングはいつも暇だった。
そんな暇な時間には、一人外で剣の稽古のおさらいをすると、幾分時間が早く流れた。
目を閉じ、架空の相手を頭に思い描き、それに向かって下段に踏み込む。
「こうじゃなくて、もっと勢いをつけて…。」
「剣先を低めに構えれば、自然と勢いはつくよ。」
「わぁっ!?」
出し抜けに後ろから声をかけられ、前につんのめった。
「ああっ、ごめん、驚かしちゃった?あんまり熱心だったから、つい声をかけちゃったんだ…」
振り向いたスウィングは、目に入ったものを見て言葉を失った。
春の暖かな日差しが人の形をとったら、多分こんな感じ。
吸い込まれそうな、空と同じ色の瞳を持つ少女が、困った様な顔をして自分を見つめていた。
太陽の光を凝縮したように輝く色素の薄い金の髪は、高く二つに結われている。
それでも先の方は少女の肘くらいまであり、かなり長いと分かった。
背の高さから、自分より少し年上だとスウィングは思う。
少女の腰には、自分のものと同じような練習用の木剣がかけられていた。
「剣、使うの?」
恐る恐る聞いてみた。
「うん。」
「女の子なのに?」
「女の子だったら、使っちゃダメなの?」
「ううん、そうじゃなくて、珍しいなって…。」
今まで剣の試合や練習で相手をしてくれたのは、皆自分と同じ年頃の男の子だった。
「そうだね。僕も僕以外で剣術を習ってる女の人は聞いたことないな。」
「“僕”?」
「あ、変?癖なんだ。」
「ううん…格好いい…。」
「あははっ、初めてだよ、格好いいって言われたの。」
じっと見つめずにはいられないほど魅力的な、少女の笑顔。
「じゃあ、ありがとついでに相手してあげようか。」
「えっ、でも…。」
「どうしたの?」
「父上が、女のかたに剣を向けては行けないって…。」
「平気だよ。ここは本邸から見えないところだから。それに、僕は普通の女の子とは違って、剣を習ってるんだし。」
正直言って、ずっと一人で練習するのには少し飽きていた。
「…じゃあ、お願いします…。」
少女は嬉しそうに笑うと、ベルトから木剣を引き抜いた。
スウィングも剣を構える。
双方の剣先を下で交差させた状態から、正式な試合は始まる。
同じ体勢で剣を構えた二人の脇を、遥か遠くの方から草原を波立たせて駆けてきた風が通り過ぎていった。
「行くよ。」
少女の声を合図に、二本の剣は瞬時に離れ、激しくぶつかり始めた。
斬り、突き、払い。
まぶしく光る金の髪を翼のように背中に流しながら、少女は舞うように剣を操る。
始めは、なるべく少女を傷つけないように、強い一撃や急所を狙う攻撃を控えていたスウィングだったが、徐々にその余裕も無くなってくる。
(凄い)
素直にそう思った。
相手に“女の子”ではなく“剣士”だと思わせる太刀筋を、この少女は持っている。
全力で。
本気で戦わなければ、負ける―――。
スウィングの纏う雰囲気ががらりと変わる。
防戦一方だった戦いは、互いの攻撃が交互に繰り返されるそれになる。
胴を狙った一撃を、身体をひねった状態で受け止めて下段の攻撃に繋げる。
間合いをぎりぎりまで詰めて。
木と木のぶつかる音。
速くなっていく鼓動。
浅い呼吸。
不思議な感覚に囚われる。
足が地面から離れたような浮遊感。
さっきまで頬にあたっていた風も、全身を包んでいた太陽の粒子も、何もかもが消失して、ただ世界にあるのは、自分と少女だけ。
永遠だとも、一瞬だとも思える。
―――世界の色が変わるんです。革命的にね。
斜めに跳ね上がった少女の剣先を避けて、スウィングは少女の肩を目がけて木剣を振り下ろした。
空を切った後スウィングが気付いたのは、自分の胴に気づかないくらいの強さで当てられている少女の木剣だった。
スウィングが狙っていたのは、木漏れ日のような少女の残像だったのだ。
「チェックメイト」
空色の瞳が、いたずらっぽく笑っている。
「最初手加減してたから、仕返し。」
やはり気付かれていた。
「ごめん…。」
「でも、楽しかったよ。」
乱れた呼吸を整えながら、少女はベルトに木剣をかける。
「何だか、途中から周りが見えなくなって…今までにないくらい、わくわくした。」
「僕も!僕も今までで一番、楽しかった!」
少女はニッコリと微笑む。
それを見て、スウィングも照れたように笑った。
「あ、いけない、友達が待ってるんだった!もう行くね。またどこかで会ったら、手合わせしよ?じゃあね!」
焦ったように後ろを向いて走りだした少女の背中を見て、まだ名前を聞いていなかったことを思い出す。
「ねえ!僕はスウィング!君は!?」
少女が遠くで振り返った。淡い金色の髪が、ぱっと青空を背景に広がる。
「―――――っ!」
少女は、よく通る高い声で名乗った。
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☆ |
皇都ヴィオラとの交易で栄えるファゴットの街は、たとえ天空に黒い幕が下ろされても、そこかしこから漏れる店の明かりがまぶしかった。
人通りも、昼に比べると減ったとはいえ、少なくはない。
(こんなんじゃ、誰にも見られずに街を出るってのは無理だよなぁ。あ、でも、これを逆手に利用することもできなくはないか。)
と、膝に肘をついて頬杖をしている黒髪の少女クィーゼルは思った。
ファゴットを東西に分ける大通りの途中にある広場には、中心に時計があり、長椅子が幾つかおいてある。
その内の一つに、シャルローナとクィーゼルとニリウスは三者三様に腰掛けていた。
通りすぎる人間の落とす影は、色々な方向から来る色々な光で何本にも分かれ、一つ一つの色も違う。
ニリウスは、ここに来て何回見たか分からない時計を見る。
九時五十七分。
集合時間は九時だった。
なのに、スウィングとエルレアの姿が見えない。
迷っているのか、とニリウスが何度か広場の近くを走り回ってみたが、二人の影すらも見当たらなかった。
…おかしい。
トントントントントン。
頬杖をしている手の人差し指で頬を叩くと、バッ、とクィーゼルは立ち上がった。
シャルローナと同時に。
思わず目が合う少女達。
「姫は留守番してろよ。危ないだろ?」
「あら貴方こそ。足手まといは必要ないわ。」
「誰が足手まといだって?誰が。」
いきなり言い争いをし始めた二人に、ニリウスは目をぱちくりさせた。
「どこ行くんだ?クィーゼルに姫さん。」
キッ、と二人がニリウスを睨む。
「探しに行くに決まっているじゃない。」
「探しに行くに決まってるだろ。」
探しにって。
夜のファゴットは治安が悪いことで有名なのに。
ニリウスが人通りの多い広場に二人を待機させて、自分だけでスウィングとエルレアを探しに行っていた理由もこれである。
しかし、そんなニリウスを気に留める様子もなく、二人はずかずか歩き出す。
止めるだけ無駄ということで、結局ニリウスも二人についていったのだが、何度も危ない男達に絡まれ、そのたびにニリウスが事を治めるという調子だったので、最後にはシャルローナとクィーゼルも諦めて、早朝にまた探し始めようと話し合って決めた。
そうして、大通りから離れた静かな場所にある宿に向かう途中、シャルローナはずっと俯いたままだった。
その様子が少し心配だったので、ニリウスはシャルローナの帽子の上にポン、と軽く手を置く。
普通なら「慣れなれしくしないで頂戴、無礼な。」と腹を立てそうなシャルローナも、今回は何も言わなかった。
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☆辿れ、彼らの足跡を☆ |
すっと通った鼻すじ。あまり日を浴びないためか肌は白く、栗色の髪は、今は白い枕の上に広がり、その人のなだらかな顔の輪郭を明らかにしている。
日が昇る前の薄暗い部屋の中でも、その横顔は大理石でできた神の彫像のように神聖さを讃え、青く発光するオーラが彼の内側から溢れているような錯覚さえしてしまう。
パタン、という、扉の閉まるわずかな音に、整った睫(まつげ)が震え、その瞳がゆっくりと開かれた。
月夜の海を思わせる、紺に近い青の瞳。
その二つの瞳が自分の姿を捉え、微笑みの形に細められる。
「もう平気なんですか?マリア。」
その言葉に、マリアと呼ばれた娘は少し笑って答えた。
水気を含んだ金髪は、真っ直ぐに肩口に落ちている。
「はい。気分が良くなって身体も軽くなったので、お湯を浴びて来ました。」
シンフォニーは身を起こすと優雅な所作でベッドを降り、カーテンを開けて外を見た。
―――暗い。
道がうっすらと見える明るさ。誰もが眠りについているこの短い時間だけが、多分この街が一日の中で最も静かになる時間帯なのだろう。
「日が昇るまでは夏でも冷えますから、風邪をひかないように上着を着ておきなさい。」
「はっ、はいっ。…あの…殿下…。」
「何だかその呼び方をされると、まだ皇宮の管理下に居るような感覚がしますね。…よろしければシンフォニーと呼んで下さいませんか?」
苦笑してそう言われ、マリアはかなり逡巡した後、赤くなって言葉を紡いだ。
「…シンフォニー、様…。」
「うーん…三歩譲って良しとしましょう。何ですか?」
おずおずとマリアは切り出す。
「あの…今すぐ出発してくださいますか…ここを。」
それが単なる思い付きからの提案であれば、シンフォニーは即行却下していた。
病み上がりに無理をさせるつもりはさらさらない。
けれど、何か思いつめているように沈んだ瞳を見た瞬間、反対する気はほとんど失せた。
「何故です?」
理由だけを聞く。
マリアは、見えない何かに耐えるように目を閉じた。
「嫌な…予感がするんです。急がなければいけない気がする…すみません、ただ、それだけなんですが…。」
シンフォニーは窓の外に向かって、深々とため息をついた。
「マリア。」
「はいっ!」
マリアは不安気に顔を上げる。
「着替え終わるまで待っていてください。準備をしていて結構ですから。整い次第…ドルチェの森へ向かいましょう。」
「あ…っ、ありがとうございます…!!」
目に涙さえ浮かべて、マリアは深く礼をする。
やれやれ、私も甘いですねぇ…とか思いつつ、シンフォニーは部屋に付けられている洗面所に入ってカーテンを閉めた。
上着を脱いだ時、洗面所の大きな鏡に映った自分をふと見て、珍しくシンフォニーは眉間にしわを寄せた。
露(あらわ)になっている左肩。
そこには、奇妙な紫の文様があった。
白皙(はくせき)の肌に、それはひどく禍々(まがまが)しいものに見える。
シンフォニーは新しい服を着ると、その上から左肩をきつく押さえ、鏡から目をそらして苦々しげにつぶやいた。
「呪いを受けし者…ですか…。」
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☆ |
「ああ、その子達なら、確かこの角曲がって奥の森の方に行ったよ。」
商品の運び込みを終えた食材店の女主人は、そう言って店の後ろに広がる森を指差した。
「先に来たのは金髪の女の子だよ。愛想は無かったけど、礼儀正しい綺麗な子だったねぇ。」
「先に来たって、二人一緒じゃなかったのか?」
と言ったのはニリウスである。
「ああ。後から黒い髪の、これまた綺麗な顔をした男の子が来てね。“長い金髪の女の子は来ませんでしたか?”って訊いてきたんだ。」
「お嬢に何かあったんだな!?」
焦るような目で、クィーゼルはニリウスを見上げた。
「その後、二人を見ましたか?」
今度はシャルローナ。
「いいや。結構夜遅くまで店はやってたけど、それきり見てないよ。」
聞くが早いか、クィーゼルは言われた方向に駆け出す。
「おい、クィーゼル!」
ニリウスがその後を追って走っていく。
「ご協力、感謝しますわ。」
宮廷風に軽く礼をした後、シャルローナも急いで二人の後を追った。
角を曲がると、森の奥へ続く砂利道が現れた。
頭上高くで生い茂る木々の葉が、日の出前のかすかな光さえ遮断してしまっている。
森の中は気味が悪いほど暗かったが、シャルローナはためらうことなく奥の方へと駆ける。
しばらくして、シャルローナは急に足を止めた。
枝と葉が重なってできた天井が円形に大きく切り取られ、そこから覗く灰色の空の下に。
森に隠されるように立つ古びた屋敷を睨んで。
一呼吸おいて、ゆっくりと歩き出したシャルローナだったが、ふと足を止めて下を見た。
(これは…)
ちょうどその時、バタンと乱暴に扉を開いて、屋敷の中からクィーゼルとニリウスが現れた。
「スウィングとエルレアは?」
視線を上げて、シャルローナが尋ねた。
「いいや、居ねぇ。」
「でも、階段にこれが落ちてた。」
クィーゼルは、握っていた右手の拳をシャルローナの前で開いた。
そこにあったのは、地味な色のボタン。
クィーゼルはそれを手のひらの上で裏返す。
ボタンの裏に記された文様。
「これは…グリーシュの家紋ね。」
「お嬢のだよ。昨日の昼、取れかかってたんだ、これ…。」
もしかしたらエルレアは、身の危険を察して意図的に落としたのかもしれない。
クィーゼルは再度、ぎゅっとボタンを握りしめる。
「けど、中には誰もいねえんだ。他に手がかりなんて…。」
「いいえ、手がかりならあるわ。」
シャルローナは黙って、目の前の地面を指差した。
そして、何かを辿るように腕を動かす。
「これは…馬車の車輪の跡!?」
クィーゼルが身をかがめて地面に触れる。
「そう、それもかなりの重さじゃなければ、ここまで土はえぐれないわ。」
ニリウスは、轍(わだち)が消える方向を見た。
「家の裏か!!」
三人が裏へ回ると案の定、踏み分けられた車体ギリギリの幅と思われる獣道が、さらに森の奥へと続いている。
クィーゼルがニ、三歩踏み出して、止まった。
「……おいニリ、こっちって……。」
「……あれだな。」
「やばいぞ。」
「……だな。」
「何の話?」
シャルローナの方を、神妙な顔でクィーゼルが振り返る。
「あんだよ。大昔に作られて、もう使われてない線路が。」
オルヴェル帝国の科学は、紆余曲折を経て発展してきた。
線路の上を走る機械は、百年ほど前までは帝国民の間で利用されていた。
しかし、その機械が環境に与える影響が思いのほか大きいことが発覚した後、当時の皇帝がその使用を厳しく禁じた。
故に、今では馬が主な移動手段だ。
線路がまだ残っているのは、昔のオルヴェル帝国の科学の名残なのである。
「それがどうかしたの?」
シャルローナの問いかけに、クィーゼルは暗い声で答える。
「姫も知ってるだろ、これって大陸全土に続いてるんだ……しかも、使われてないってのは<公>に使われてないだけなんだよ。」
「な……何ですってぇぇぇぇぇっ!?」
白い肌を青くして、シャルローナは叫んだ。
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