ノスタルジア〜宴の夜〜



第八章 銀の鍵




 …少し、足が痛い気がする。


 だが、そんな事は言っていられない状況なのだから仕方ない。

 思えば、こんなに長時間歩くのは久しぶりかもしれない。

 だがまだまだ、目的の場所には程遠い。

 こんな所で弱音を吐くわけにはいかなかった。

 自分のわがままをきいてくれた彼に、これ以上迷惑をかけないためにも。


「?どうかしましたか、マリア?」


 視線に気付いた彼が、不思議そうに問いかける。


「いいえっ、何でもありません!」


 走ると足の痛みはひどくなるが、歩くだけならまだ耐えられる。

 頑張ろう。


 頑張って歩こう。




☆それは春の風のごとく☆





 頬の冷たさで、意識がはっきりとしてくる。


(風……?)


 春のそよ風ではなく、もっと冷たい風だ。それが絶え間なく自分の頬にあたっている。


「……!?」


 スウィングは、視界に入った黒いものを見てギョッとした。


(そうか、ウィッグを付けてるんだ…。)


 同時に、少し安堵する。ウィッグが取られていないという事は、とりあえず素性はばれていないらしい。

 不慣れな黒髪を視界から追いやる長い指の動きが、ふいに止まる。

 よぎったのは、深い緑の瞳の少女。

 薄く残る鈍痛に顔をしかめながら身を起こし、周りを見回す。

 自分が入っているのは、檻。

 かけられた錠を外そうとしたが、やはり無駄だった。

 上から被せられている白い布をめくりあげ、外を見る。


……ガタン……ガタン……


 機械的な揺れに、今頃気付く。


(これは……まさか、列車!?)


 古い絵などでその姿を見たり、知識としてどんなものなのかまでは知っているが、まだ現存しているなど聞いたこともない。

 見たところ、そんなに大きくはない、小ぶりな車両のようだ。

 灯りのない車内には、上方の小さな窓から頼りない光が差し込んでいるだけで、人の気配も無かった。

 檻にかけられている布と同じ、しっかりした生地の布が何枚かある。

 そして反対側の、布の間から風が吹き込んできている方を見る。


「森……か……?」


 木製の厚い扉のわずかな隙間から、少し離れた所で左から右へと移動する丈の高い木が見えた。

 遠くの方に見える街並みは、その大きさから見てファゴットだろうか。


 止めなければ。


 本能的な危険を感じた。

 それを思いついてから行動に移すまで、さして時間はかからなかった。

 檻の隙間から列車の内部の方に手を伸ばして、掴んだ布を中へ引っ張り込む。

 それを今度は外の方へ出し、車輪へ近づけた。



ガッガガッ、キーッッ。



 耐久性の高い布の思わぬ介入に、正常な動きを妨げられた車輪は悲鳴をあげて止まる。

 やがて、正常に動いていた他の車輪も動きを鈍らせ、止まった。


「っ!!」


 慣性の法則で背中をしたたかに打って、スウィングは数回せきこむ。


 さぁ、どうする。


 とりあえず止める事はできたが、錠を外すための鍵はなく、腰に差していた剣もない。


 混乱に乗じて逃げられたら。
 エルレアと、一緒に。



 ふわっ、と、髪を春風が通り抜けた気がした。



 

 



 錠をどうにかして外そうと試みたスウィングだったが、その動作をやめて息を潜めた。

 男の近づいてくる話し声が聞こえたからである。

 扉を閉めようとしたが、檻が邪魔で、しかも扉自体が重いので、数ミリ動いただけで止まった。


「おい、こっちだ!」


 すぐ近くに男の気配を感じて、スウィングは扉からサッと手を引き、外から見えない位置に身体を移動させた。


「ったく、こっちは時間がないってのに、何なんだ一体。」


 呼ばれた男が車輪の異常に気付き、巻き込まれて多少の破けが見られる布を荒っぽく取り出した。


「こいつぁ…。」


 男が取り出した布を、もう一人の男はいぶかしげに見る。


「そりゃあ檻にかける布じゃねえか。どうしてそいつが外に出てんだ。」


 そして、扉の隙間から見えるスウィングの檻を見て顔をしかめた。


「おい、俺はこの中を見てくる。隊長に出発しろって言ってくれ。」


(気付かれた!?)


 この会話を聞いていたスウィングは、終わりか、と覚悟を決めた。


 しかし。


「………………待て。」

「ああ?」

「あれ見ろよ。」


 呼び止められた男は、もう一人の男の指差す方向に目を細めた。


「昨日の金髪娘と黒髪坊主に並ぶ上玉だぜ。」


 男達の口元に、にやりと笑みが浮かぶ。

 列車の後方だったので、スウィングにはそれが何か分からなかったが、男達がその方向に向かうのを見て、錠を外す作業を再度始めた。




☆暁に宿りしもの☆





 二人の男は、おもむろに男女に近づき、前に立ち塞がった。


「ちょっと顔貸してもらうぜ、兄ちゃん。そこの姉ちゃんも一緒によ。」


 すると、言われた男は足を止めて目の前に立ち塞がった男達を見た。


「申し訳ありません。私、醜いものは嫌いなんですよ。消えていただきたいですね。」


 栗色の髪を肩になびかせながら、シンフォニーは微笑んだ。


「誰が醜いだって……?」

「おや、自覚が無いんですか。哀れな。」


 シンフォニーの言動に一番オロオロしているのは、隣にいるマリアだった。


「ほら、よぉくご覧なさい。」


 シンフォニーは突然マリアを引き寄せて、その上で男達に至上の微笑みを見せた。


「私達は美しい。そうですね?」

「お……おう……。」


 訳は分からないが説得力のある言葉だった。


「では、次はお互いの顔をご覧なさい。」


 二人の男は、互いに顔を見合わせた。


「貴方達は醜い。そうでしょう。」

「あ、ああ……。」

「う、むぅ……。」


 シンフォニーはマリアを離すと、解説者のように片手を掲げる。


「ここに揺るがぬ事実を再度提示しましょう。私達は美しい。貴方達は醜い。つまり、私達が貴方達の言葉に従う必要は無いということです。」

「そ、そうか、なら仕方ないな……。」

「では、私達は先を急ぎますので。そちらもお気をつけて。」

「あ、ああ、ご丁寧にどうも……じゃねえよ!何おかしな理屈に丸め込まれてんだ俺達は!おい待てお前!!」
マリアの肩に手を置いて、さりげなく男達の前から去ろうとしたシンフォニーは、面倒そうにため息をついた。

「やれやれ、惜しかったですねぇ……。」

「悪いがごちゃごちゃ言ってる余裕はねえ!力づくでも来てもらうぜ。」


 一人の男が剣を抜き、二人に剣先を向けた。


(シンフォニー様!)


 前に立とうとしたマリアの動きを、シンフォニーは左手で遮った。


「下がっていなさい。」


さっきまでの笑みはすっかり消えている。


 瞳は前の二人を見据えたまま、逆らうことを許さぬ口調だった。

 マリアが今まで見てきたシンフォニーのどんな表情よりも厳しく、そして強さを秘めた眼差しだった。


「ほぅ、やるってのか。だが丸腰でどうやって勝つつもりだ?」



 そうなのだ。


 マリアは、シンフォニーがスウィングとは違って、剣術などの武術を習っていないことを知っている。


 加えて武器もない。


「マリア。」


 マリアを安心させようとしたのか、振り向かないままシンフォニーは告げた。


「何とかなりますよ。多分ですけど。」


(そ、そんな行き当たりばったりな気持ちで勝負を受けないでくださいぃぃぃっっ!!)


 逆効果のようだったが。


 だが、シンフォニーがどうしても戦うつもりならば、自分が傍にいるのは逆に危険だ。

 マリアはそう判断して、躊躇(ためら)いながらもシンフォニーから離れた。


「ふんっ、安心しな。そのお綺麗な顔には当てねえよ!」


 胴を狙って横一文字に断ち切られた剣の筋を、シンフォニーは後ろに跳んで避ける。

 そして、間を置かずに距離を詰めた。


「馬鹿が!!斬られに来たか!!」


 右肩を狙って、剣が斜めに振り下ろされる。

 すばやく右下にしゃがんで避けたシンフォニーは、身を起こすと同時に手に掴んだ砂を男の顔へ投げつけた。


「!?」


 目潰しをくらった男の首へ、遠心力を応用した鋭い手刀を叩きつける。


「がぁっっ!」


 勢いよく横に吹っ飛んだ男の手から、剣が宙へと放り出された。


「武器というものは、案外どこにでもあるものです。」


 どさぁっ、と白い砂を舞わせて男は倒れる。

 回りながら落ちてきた剣の柄を片手で見事に受け止め、シンフォニーはもう一人の男の方へ構えた。

 口元に浮かんだ薄い笑みとは対照的に、その瞳は限りなく蒼く、冷たい。

 遠くの山から昇る太陽が空を水色に色づかせてゆくにつれて、その瞳に刃の輝きが宿ってゆく。

 その時マリアは、シンフォニーの背中が誰か知らない人の後ろ姿に見え、ごしごしと目をこすった。


「……のやろう、よくも!!」


 男が仕掛ける前に、ダンッと地面を蹴り、シンフォニーは相手へと駆けた。


 栗色の髪が風に踊ったと見えた刹那。

 シンフォニーは影を残して立ち消え、次にマリアがとらえたのは、男の後方で、ゆっくりとこちらを振り返る彼の姿。



 見えたのは、一閃。



「ぐぁぁぁあっ。」


 叫び声をあげて倒れた男を、無表情で見やったシンフォニーは、




「……。」


「…………。」


「…………シンフォニー様……。」



 という、マリアの震えた声にようやく顔を上げて、苦笑いのような笑顔を作った。



「安心してください。刃の方では打ってませんから。」


 恐る恐るマリアが男に近づいてよく見てみると、男の顔や腕や足は打撲の跡でボコボコになってはいるが、刃物の傷は見られなかった。

 シンフォニーは、先に倒した男の方へ近づく。


「あ、あの、つかぬ事をお聞きしますが……。」

「はい?」


 マリアは、気になっていたことを尋ねる。


「剣を、習っていらっしゃったんですか……?」

「いいえ、実を言うと、剣を持ったのは生まれて初めてで。」


 いつも通りの飄飄とした物言いで答えると、気絶している男の腰から鞘を抜き、それに剣を収めるシンフォニー。


「まさか初めてで、あんな。」

(技を……?)

「ああ、あれは弟の真似です。最も、何度か見たことがあるだけでしたから、実際できるかどうかは分かりませんでしたが……。」


 マリアは内心、シンフォニーの計り知れない才能に畏怖した。


「でも、もしかしたら命に関わる大怪我をしてたかもしれないんですよ!?何故そんな危険なことをなさるんですか!」

「だから最初に言ったでしょう、『多分』と。まあ、一番手っ取り早くて安全な方法は逃げることだったんでしょうが……そうそう、マリア。」

「はい……?」

「足が痛いのなら、今度から正直に言ってくださいませんか。何も言ってくれないと余計心配になりますから。」


 これを聞いて、マリアは絶句する。

 つまり、シンフォニーはマリアの足にこれ以上負担をかけないために、わざと逃げる方法を取らなかったのだ。


(そんな……隠していたつもりだったのに……。)


 シンフォニーは、マリアの顔を見てクス、と意地悪そうに笑った。


「それとも、抱きかかえてでも逃げたほうが良かったですか?」

「いいえ!!」


 恥ずかしいのか情けないのか、もうそれさえ分からない。


「うーん、用心のためにこの剣はいただいていきましょうか。」


 そんな事を言う青年の後ろで、密かにマリアはうなだれた。


「おや?」


 ベルトに剣を通す時に手に引っかかったものを、シンフォニーは目の前にぶら下げた。

 どうやら、剣の柄尻に掛けられていたらしいそれは。




 一本の銀の鍵だった。









「ドルチェの森までは、あとどのくらいかかりますか?」


 その声が聞こえてきた時、スウィングは夢か幻聴ではないかと思った。

 心臓が一回、高く大きく鳴ったことに気付く。

 自分が置かれている状況すら忘れて、その声に全神経を集中させた。


「馬車を使いませんでしたら、一日中歩き続けても何十日かかるか…。」

「それはまた……やはり、どこか目立たないところで馬車を借りましょう。さすがにヴィオラやファゴットでは目立ちすぎて借りられませんでしたが……。」


 スウィングは、鉄格子を掴んで外を見る。

 少しの距離の所に、茶褐色の髪の男の後ろ姿が見えた。


(あれは)


「とりあえず、しばらくは森に隠れながら進みましょう。」


 聞き違うはずがない。

 あの声を、あの口調を、自分は生まれてからずっと近くで聞いてきた。


 どうして、こんな時に見つけてしまったのだろう。



(―――兄さん。)



 声に出してはいないのに、その男は何かに気付いたかのように後ろを振り返った。

 目が合いそうになり、スウィングは何故か慌てて扉の陰に身を隠した。


「―――……。」


濃い青の瞳は、扉の隙間からのぞく檻をしばらく見つめていた。


「どうしたんですか?」


 女の声には答えずに、男はそれを投げる。

 好奇心を含んだ微笑と共に。

 チャリン、と檻の中で音がする。


「……え?え?」

「いえ、何となく……弟に呼ばれた気がしたので。さぁ、行きましょうか。」

「あ、はい!」



 遠ざかっていく足音を聞きながら、スウィングはそれを拾い、見つめた。

 困惑と驚きの入り混じった青の瞳に、それは日光を鈍く反射して映った。


 止まっていた列車が動き出したのは、それから間もなくのこと。
 




☆     ☆





「……何? このゴミは。」


 黒メガネを外し、その美しい顔を風にさらしながらシャルローナがぼやいた。


「ひぇ〜、凄ぇなぁ、このボコボコ。」


 ニリウスが、その“ゴミ”を見て感嘆する。


「こっちは首に入れられてんぞ。……もう少しで致命傷だな、これ。」


 続いて、先の方でクィーゼル。

 線路に付いた真新しい傷跡から、列車が一体どこに向かっていったのかを推測しながら三人はここまで歩いてきた。

 ファゴットから、まだあまり離れてはいない場所である。


「……?……」

 人の気配を感じたのか、一人の男が首を不自然に曲げたままで目を開けた。


 その顔が、ニリウスを見て恐怖に歪められる。

「茶色の髪の……ば、化け物……。」

「んぁ、化け物???」


 ニリウスがキョトンとしてシャルローナとクィーゼルを見る。


「おい、どうしたってんだ?」

 ニリウスが近づくと、男はずさぁっっ、と後ずさり、地面にぶつけんばかりの勢いで頭を下げた。

「も、もう人さらいなどは決して、決してしませんから、ご容赦をぉぉぉ!!」

「はぁ……?」とクィーゼル。

「“人さらい”……?」


 シャルローナの瞳が、強い光を帯びた。


「……貴方……知ってるわね。」

 さしずめ、カエルを見つけた蛇。

 凄絶な美しさをその顔に湛えて、シャルローナは薄く笑った。



―――或いは、男にはその笑みが、別の人間の笑みに見えたかもしれない。





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